第6章 リュカー4
月の最初の火曜日。翌日が休みのサラの父ロイは、同じく学校の記念日で翌日休みのサラに言った。
「ごめんな、サラ。明日はパパ、ちょっと仕事の関係で人と会わなければならないんだ。一緒に遊園地に行く約束はまた次でもいいかな」
「そ。いいよ、別に」
案外あっさりとした娘の態度に、ロイは拍子抜けしながらも、腰を低くして謝りながら部屋から出て行った。サラは父親がリビングに戻るのをこっそりと部屋を出て階段の上から確認すると、足音を立てないように家を抜け出し、隣のリュカの家へひた走った。
「リュカ!リュカ!」
窓の外から明かりの漏れるリュカの部屋に向かって、小石を投げつける。ようやく気付いたリュカが怪訝な顔で窓を開けた。
「なんだよ、サラ」
「ちょっと降りてきて!」
一生懸命手招きしているサラがおかしくて、リュカは仕方なくこっそりと階段を下り、家の外に出た。
「明日よ!明日決行するから」
「え?何?何のこと?」
「何のこと、じゃないでしょ。パパを尾行するの。もう、しっかりしてよね」
遠足の前の日のように目を輝かしているサラがおかしかったが、リュカはなるべく真面目な顔を作った。
「わかった。で、どうするの」
「あのね……」
サラとの作戦会議は暗闇の中、粛々と続いた。
ロイの車のトランク内部は意外と広かった。サラとともに前日のうちに中にあった荷物を出しておいたのだ。
早朝、先回りして忍び込むのは、なかなかスリルがあって楽しい。サラの用意したクッションは、早起きしたリュカの良いうたたねの友となった。
「ちょっと、起きて、リュカ」
揺さぶられ、耳元で叫ばれて、リュカは飛び起き、トランクの天井に頭をぶつけた。
「どうやら着いたみたい。降りるわよ」
サラは慣れた手つきで、床下のワイヤーを引きトランクを開けた。
「よく知ってるね」
驚くリュカにサラは下手なウィンクをした。
「パパとよくかくれんぼをするもの。万が一のときのために教えてくれたの」
二人はトランクから目だけをだし、あたりの様子をうかがった。道路と歩道の広い普通の住宅街だった。音をたてないようにトランクから出て、車の陰から探すと、そばの住宅のチャイムを鳴らしているロイを見つけた。ほどなくして家の中から主婦とみられるエプロン姿の女性が現れた。二人は顔見知りのようだが、ぱっと一瞬輝いた表情を見せた女性は、ロイが二言三言話した途端、あきらかにその表情を暗くした。
「誰かしら?」「さあ」「まさか、浮気!?」「……それはないだろう」
リュカはあきれて言った。
ロイは家の中に招きいれられ、ドアが閉まった。
二人は人目を気にしながら、家の周りをまわり、リビングらしき部屋の窓の外から、用心して中をのぞいた。二人はソファに向かい合い、難しい顔をしている。こちらには気付いていないようだ。
「何を話しているのかしら」
窓が閉まっているので内容はまったくわからない。
「これじゃついてきた意味がないね」
サラが開いている窓を探すも無駄に終わった。そうしているうちにロイが席を立った。
「サラ、おじさん帰るみたいだよ」
女性は、悲しそうな顔を浮かべ、テーブル越しにロイの手を両手できつく握っている。何かを懇願しているようだった。
「やっぱり浮気!?」
「そういう感じじゃないと思う……ねえ、早く戻った方がいいんじゃない」
「あ、そうだった」
二人は慌てて車に戻り、トランクの中に身をひそめた。
少しして、ロイが運転席に乗り込み、ドアが閉まる音がした。そして、ゆっくりと走り出す。
二人はトランクの中で思案に暮れた。
「ママ以外の女の人と手を握るなんて許せない。それに、刑事のくせに私たちの尾行に気づかないなんて!」
サラはぷりぷりと怒っている。
「尾行している本人がよく言うよ。でも、どうするんだろう?もう帰るのかなあ」
予想に反し、ロイはそのままいくつかの家を訪ね歩いた。そのたびに二人は、窓の外にひそみ様子を伺うも、会話の内容は何もわからなかった。相手は同じように女性の時や、夫婦揃ってのときもある。年代はみなロイと同じくらいに見えた。また、転居してしまったのか、『売家』の立札の前でロイが立ち尽くす場面もあり、そのときは、リュカとサラは大慌てでトランクに戻って冷や汗をかいた。そのあと車に戻ったロイは、どこかに電話をかけていた。どうやら先ほどの売家の主らしい。転居先がわかったらしく、後日の約束をとりつけていた。
「これで4カ所目だ。いったいどういう関係があるんだろう」
リュカは首をひねった。
「どうやらパパは、今までも何度か来ているみたいね。みんな顔見知りみたいだし、車の動きにも迷いがないもの。カーナビのうるさい声も聞こえないし」
懐中電灯のもと、サラは小さなノートをポシェットから取り出した。リュカが覗き込むと、そこにはいくつかの名前と、わかる範囲でのだいたいの住所が書かれている。
「あ、今まで行ったところだね。いつのまに書いてたの」
リュカは感心した。
「これをキーワードに調べれば何か出てくるかも」
サラは得意げに言った。
用意していたサンドイッチやお菓子、飲み物も底をつき、口寂しくなってきたころ、また車が止まった。
二人は同じように用心しながら、トランクから出た。見ると今回ロイを迎えたのは、やつれた感じの夫婦だった。ロイが家の中に招きいれられ、二人は急いでその家に向かい、今ではすっかり慣れたリビングの窓探しを手分けして行った。
リュカは一つ一つの窓を覗き込んで探し、次の窓に向かおうとしていた。そのとき、前方の両開きの出窓の内側にある鍵が、誰も手を触れていないのに、ゆっくりと押し下がるのが目に入った。
「え?」
驚いて立ちすくんでいると、その窓がゆっくりと外側に開かれた。しかし、そこには誰もいない。誰も触ってなどいない。
恐る恐る近づいていくと、中の声が聞こえてきた。ロイと、この家の夫婦の声だ。
あっと思い、サラを探しに行こうとあたりを見回すと、窓の前の生垣の下にもぐっていた人間と目があい飛び上がった。
「わっ……」
声を出そうとした瞬間、その人間が飛び出てきて口を押さえ、大声を出さずに済んだ。しかし、リュカはその顔を見て、再び驚いた。
……あれ?……博物館にいた人?
そこへサラがやってきた。
「誰、あなた?こんなところで何してるの?もしかしてどろぼう?」
自分たちのことは棚に上げて、サラが血相を変え小さな声で言った。
「違うよ、この人は博物館にいた人だよ」
「何よ、それ」
「しっ!」
声が大きくなり始めた二人を制し、「博物館にいた人」は窓の側に寄った。
それを見て、二人も本来の目的を思い出し、その隣で耳を傾けた。
「なんの進展もないのですが、ひとつ手がかりとなりそうなものを見つけたので今回お伺いした次第です」
「あなただけです。こうして捜査を続けてくださるのは。本当に感謝しております。どうぞ、なんなりとお聞きください」
ロイの言葉に夫婦は感謝しつつも、どこか諦めたような表情をしていた。その佇まいには疲れをも感じさせる。
「お二人の新婚旅行についてお聞きしたいのです。どちらへ行かれましたか」
夫婦は、不思議そうに顔を見合わせてから言った。
「セントリーヌ島ですが……」
ロイが目を輝かせてうなずいた。
「ザイテックス社の懸賞に当選したのですね」
「え、ええ、そうです。よく御存じですね」
ロイは大きな息を吐いた。
「やっと、糸口がつかめたのです。あの事件の被害者の方々は、その懸賞に当選して、同じときにセントリーヌ島へ新婚旅行に行った方々なんです」
「なんと……」
夫婦は絶句したが、気をとりなおして言った。
「い、いや、しかし、そこで知り合ったご夫婦と今でも交流がありますが、その方たちは、あの事件には巻き込まれていませんが……」
「そのご夫婦にお子さんは?」
「ええ、います。うちより一年ほど遅く妊娠されて……」
夫婦ははっとした。
「そうなんです。他にもそういう知り合いを持つ方はいましたが、その方たちは妊娠の時期が違うのです。あの事件の被害者の方は、あのときあの場にいて、同じ時期に妊娠された方たちなのです」
夫婦は息をのんだ。
「では……では、赤ん坊は……子供のてがかりは」
妻が悲哀に満ちた表情で小さく訴えた。
「申し訳ありません。それはまだ何も……。しかし、なんの手がかりもなく捜査が打ち切られてしまったあの事件で、初めて被害者の方々の共通点が見つかりました。これは大きな一歩です」
夫が妻の肩を抱いて言った。
「わかりました。待ちます。今までもずっと子供の帰りを待っていましたから。うちはあの事件のあとは子供が授からず、夫婦二人で支え合って生きてきました。今回、小さくても希望の光が見えただけで、生きる支えになります。どうかよろしくお願いします」
夫はロイの手を取り、力強く握手をした。
「もう一つだけ……。救世主誕生の聖地の村で、不思議な光を見ましたか?」
「光?……ああ、そういえば。一瞬光ったかと思うと雪のようなものが降ってきましたね。あれは不思議なことでした。神の祝福だと皆騒いでいましたっけ」
窓の外で聞いていたリュカは、だんだん心配になってきた。「事件の被害者たち」の共通点と両親の話が一致している。リュカの大好きな両親も何かの事件の被害者なのだろうか。
リュカは、教会で長いお祈りをしていた二人を思い出した。そして、同じ夢にうなされ続ける母親のことも。
「事件っていったいなんのことなのかしら……」
サラがつぶやき、ふと気づいた。
「あ!あのどろぼうがいない!」
リュカも慌ててあたりを見回した。しかしそこには、リュカとサラ以外、もう誰もいなかった。