Sky Wish ~ムクの浮島~ 第9章

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第9章

 

次の日、リクはみんなへのお土産を船に忘れてきたことに気がついた。

「アルタの島で他の飛行船乗りの人から譲ってもらったランカの苗木なんだ。船長も言ってたけど、ラーザにはないだろう?その黄色いランカの実をそのとき食べたら、とびきり甘くておいしかったんだ。熱帯地域の名産らしいけど、ラーザの気候でも十分育つんじゃないかって聞いてね」

「ああ、あのランカの実か。あれはうまいよなあ」

アルは甘い果肉の味を思い出してにんまりとした。

次の帰港まではまた間があく予定だったので、リクは船に戻り取ってくることにした。

「気をつけてね。それと、早く帰ってきてね」

アリシアは寂しそうに手を振りながら、ルルに乗り離れていくリクをずっと見送っていた。リクも振り返りながら、小さくなっていくアリシアに手を振った。

あんなに寂しそうなアリシアの顔は今まで見たことがなかった。明日またグース号に戻るときもアリシアをあんな風に寂しがらせてしまうのかと思うと、リクの胸は痛んだ。

その想いのような薄曇りの空の下、船まで半分ほどの距離を飛んで来たところで、前方の、リクよりも高い高度に、黒い飛行船が飛んでいるのが見えた。それがだんだん大きくなっているので、リクとは逆の方向に進行していることがわかった。

このラーザで、島の上空に飛行船が飛ぶことはめずらしい。島の玄関口である港は、島の端に位置するため、その必要がないのだ。

異様な光景にリクは不審に思い高度を上げた。その飛行船の位置まであがるとちょうどすれ違う恰好となった。

「ザイオンの船だ……」

黒くて装甲の厚いその船はよく見るものよりも小さかったが、その特徴からザイオンの船だと確信できた。

垣間見えた操舵室には、あごひげを蓄えた男がおり、リクと目があうと、片方のくちびるをくっとあげて笑ったように見えた。

「誰だろう……なぜ、ザイオンの船がここに……」

リクは怪訝に思い何度も振り返った。通常、島に来て港に寄らないはずはないため、グレッグ船長が何か知っているかも、と思い、そのままグース号へと急いだ。

 

 

「ザイオンの船が?」

グース号に残っていたグレッグが、リクの報告を聞いて眉尻をあげた。

「港には寄っていない。ザイオンの船はすぐわかるからな」

グレッグはそう言ったきり黙りこみ、何か考えているようだった。あまり見ることのないその恐い表情は話しかけるのもはばかられるほどだ。

そのとき、グレッグが突然立ち上がり、船窓の外を見た。

「まさか……」

グレッグは一呼吸おいて続けた。

「リク、おまえすぐアリシアのところに戻れ」

「え?」

リクは驚いた。すぐ戻るつもりではあったが、グレッグの表情は険しく、リクを圧倒させた。

「私もこの船で追う」

「グース号で?」

ザイオンの船の出現というだけで、グース号を出そうとするグレッグの意図がリクにはわからなかった。ザイオンがいくら不審な連中であっても、この平和な地域で問題を起こすことはありえないとリクは思っていた。そんなことをすれば、貿易協定による均衡を保てなくなる。ザイオンも自分自身の首を絞めることになるだろう。

出航の準備には時間がかかるため、グレッグの言うとおりリクが先にルルで出ることにした。とはいうものの、グレッグの危惧は取り越し苦労であろうと感じていた。確かに両親の家の方向に向かってはいたが、だからと言って、ザイオンが両親やアリシアに用事があるはずがない。

リクは、不穏な表情で出航準備を進めるグレッグを残し、自分の部屋からランカの苗木を取って懐に大事にしまうと、ルルに乗り込んだ。

それでもグレッグの様子がリクの不安をかきたてたことは間違いなく、ルルで上空に飛びあがると、グース号を見下ろしてから、両親の家へとまっすぐに飛んだ。

 

 

外は薄い霧がかかり始めていた。昨日の晴天時に見えた地平線は霞み、地上の緑もぼんやりとしている。もうすぐ丘の上の家が見える、と思った瞬間、突然、前方に大きな火柱があがった。

リクは目を見張り、息をのんだ。

同時に爆音が大気をつんざき、空気を激しく震わせた。すぐに熱風が衝撃波とともにリクを襲い、ルルの飛行が乱れた。

「くっ!」

何とかこらえ飛行体勢を整えると、改めて前方を見た。火柱は赤い炎と大きな黒煙となり、その場所にとどまっている。

リクは目を疑い前方を凝視した。

「なんだ、これ……」

その光景がリクには現実のものとは思えず、しばし混乱した。

火柱の上がった場所。まさにそこは両親とアリシアのいる場所だった。

それが今では激しい炎に包まれ燃え盛っている。リクは、その心のままによろめくルルの背の上で目を見開いていた。

「そんなはず、ない!」

ルルで近づこうとしたが、まだ距離があるというのに、吹きすさぶ熱風で近寄ることができない。リクは取り乱しながら家の形状すら見えなくなった大きな炎のまわりを飛び、みんなの姿を探した。家族が無事であることを確かめようとした。

しかし、無情にも人の影はどこにも見当たらなかった。

黒い飛行船が、もくもくと上がる黒煙から分離したかのように、煙の影から姿をあらわした。そのまま上空へと高度をあげていく。

「ザイオン……」

リクはつぶやき再び地上を見た。炎のまわりの畑を見た。昨日、アリシアに案内してもらった豊かな畑だった。爆風でめちゃめちゃになりもはや見る影もない。

ついさっきまで平和で幸せなときを過ごしていた場所が、一瞬にして消えてしまった。この目の前の状況を容易に受け入れることはできなかった。リクは諦めきれず黒煙で体中すすだらけになりながら、ひたすら上空を飛び回り、霞む視界で家族の無事な姿を探し続けた。

そのとき、畑の端で人影が目に入った。祈るような気持ちでルルを急降下させると、そこにいたのは隣人のサイおじさんだった。彼は体を震わせ、立っている足もおぼつかず、リクが近づいていくと、耐えられず、リクに体を預けた。

「おお、リク、リク、無事だったかの……」

涙を流しながら、そう言い、炎のほうを見つめた。

「黒い船じゃ、あの黒い船がおまえさんの家を……」

サイおじさんは立っていることができなくなり、その場に崩れ落ちて嗚咽をもらした。

それを聞いてもリクには信じられなかった。受け止めることができなかった。

ついさっきまで両親の家があった。暖かい家族がいた。その場所が今、真っ赤に燃えている。

「父さん、母さん、アリシア……」

リクは、サイおじさんの手を振り切って、炎に向かってよろめきながら歩きだした。

きっと、きっとこれは現実じゃない。悪い夢を見ていて、アリシアがそろそろ起こしにくる。寝坊した僕を父さんは笑いながら叱って、母さんの作ったおいしい朝食を食べるんだ……。

いつのまにか、頬が濡れていた。それにもかまわずリクは歩き続けた。

遠くから馬の蹄の音がする。トニーが血相を変えて馬から飛び降り、リクに駆け寄ると、その体を押しとどめた。

「リク!あぶない!やめろ!」

熱風はすぐそこまで来ており、トニーは、ただひたすら炎に向かおうとするリクを引きずって引き離した。

「リク!何があったんだ!?みんなは?アルさんたちはどうしたんだよ!?」

トニーも必死だった。無事だという言葉をリクの口から聞きたかった。

しかし、リクは溢れる涙を拭いもせず、激しい炎を見つめている。

「おい!無事だと言ってくれ!リク!」

トニーは泣きだしながらリクの肩をゆすり、その表情からすべてを察し、リクを抱きしめた。

抱きしめられ、リクの体から急に力が抜けた。

みんなが、いたのに……。あの家には家族がいたのに……。父さん、母さん、アリシア……。もう誰も、いないなんて……。

トニーの肩越しの激しい炎の中に、サイおじさんの言葉が浮かんだ。

「あの黒い船がおまえさんの家を……」

あの黒い船……ザイオンの船……。

リクは黒煙の流れる空を見上げた。ザイオンの黒い船はだいぶ小さくなっているが、まだ視界に捕えることができた。

リクは次第に激しい衝動にかられ始めた。トニーの手を振りきり、走ってルルのところへ行くとその背に飛び乗り、上空へと舞い上がった。

「リク!待て!どこにいくんだ!?」

トニーの呼ぶ声を背に、リクはザイオンの船を追った。

なんということを。大切な家族の生活を、努力を、未来を、奴らは全て奪った。ひとつずつ積み上げてきたのに。何もないところから、いろんなものを作ってきたのに。

リクは、煮えたぎる怒りに我を忘れてザイオンの船へと飛んだ。

重い装甲を持つザイオンの飛行船より、ムクのほうが速い。速度をあげて追いつこうとするリクに気がついたザイオンは、ハッチの扉を開けて、兵を乗せた重装備の赤ムクを3頭放った。

2頭のムク乗りがリクを弓矢で狙う。しかし、それを交わすのは、さらに腕を磨いたリクには朝飯前だった。

もう1頭のムク乗りは、尖った突起を持つ鉛の玉を鎖の先につけて、それをぶんぶん振りまわし、リクに向かって投げつけた。軽く交わしたが、その鉛の玉は地上へと落ち、爆発した。リクははっとして地上を見降ろした。そこは人のいない草むらだったが、このままでは島に被害が及ぶと思った。浮島はその底に飛行船のようにアリウムガスを蓄えているのだ。

リクはザイオンの船から距離をとった。容易に攻撃されない位置にくると、その距離を保ち、船が島の外に出るのを待った。

もう少しだ、もう少し……

3頭の赤ムクは、リクが離れると、後ろを振り向きながらも船に従って飛んでいる。

船が島の上空を抜けた瞬間、リクはスピードをあげた。ふいをつかれた赤ムクたちの間を飛び抜ける。1頭はその風圧でバランスを崩し、手に持っている鉛の玉を取り落とした。すかさず、リクは急降下し、鉛の玉についている鎖を掴んだ。あまりの重さに体勢を崩しそうになるも必死でこらえ、そのまま赤ムクたちを交わして、ザイオンの船の後部ハッチ部分にそれを投げつけた。

大きな爆発音が響く。それでも、その煙が風で流されて見えたザイオンの損傷はわずかなものだった。

「ちくしょう!」

リクは激昴して叫んだ。今までこんなに激しい怒りを感じたことはなかった。リクの生活は平和と幸せに満ち溢れていた。それをザイオンの船がリクから奪ってしまったのだ。

赤ムクの弓矢の攻撃は続き、船の砲台も全てリクへと向き砲弾が次々と投げ出される。リクはたくみにルルの飛行をコントロールし、決して当たることはなかった。

しかし、ザイオンの赤ムク一頭が自らの攻撃に気をとられ、愚かにも味方の砲弾に当たり、眼下の厚い雲の中へと落ちていった。

リクはザイオンの船の上に降りて中に入り込もうと上昇した。そのあとどうするかは考えていなかった。自分の身のことはもはやどうでもいい。家族を奪われた怒りと悲しみがリクを無謀な行動へと突き動かしていた。

そのとき、ザイオンの船の進行方向のずっと先で、何かが激しく爆発した。

目を向けると、そこには見慣れた船が、その片側に炎と煙をあげて、その体を大きく傾け始めていた。それはあの、グース号だった。

「グース号……船長!」

下降していくグース号の向こう側の雲の合間に、リクが追いかけていた船よりも、10倍は大きいであろう、巨大なザイオンの軍事船が浮かんでいた。その大きな砲台はリクを向いており、そこからは発射残である煙が立ち昇っていた。

リクはこの船には全く気がついていなかった。グース号がいなかったら、リクは攻撃を受けていたに違いない。

「船長!!」

リクは叫び、ゆっくりと落ちていくグース号を追いかけた。

船長がかばってくれたんだ。まわりが見えなくなった僕にグース号が盾になってくれたんだ。船長やグース号まで失ってしまったら、僕はどうしたらいいんだ。もうどこにも帰るところがない。

リクは必死に降下したが、グース号は煙を吐きながら落下速度を速めていき、既に眼下の厚い雲に達して、その雲海を散らした。

「待ってくれ!船長!」

涙でかすむ視界で追うと、雲に半分ほど沈んだグース号のハッチが小さく開くのが見えた。そしてそこから、青ムク、リーに乗ったグレッグ船長が飛び出し、上空へと大きく舞い上がった。

「船長!!」

リクは涙を流し喜びに打ち震えた。あとをついて上空にあがると、鞍もなしでルルの背に乗ったグレッグが、必死でその首につかまりながら、「二十年ぶりだ、乗れるもんだな」と笑っていた。

「船長……」

リクは泣き笑いの顔で答えた。

グース号は、そのまま眼下の雲海へとゆっくりと沈んでいった。二人はそれを、じっと見つめ、グース号の最期を見届けた。

リクは顔を上げザイオンの船を見た。島を攻撃した小さいほうの船は、大きい船のハッチへと吸い込まれていった。

リクが再び追いかけようと手綱を掴むと「行くな!」とグレッグが制した。

「ムク1頭でやつらに向かっていくのは自殺行為だ」

「それでもいい!それでも!」

「落ち着け、リク!」

グレッグは悲しげな声で続けた。

「おまえにまで行かれたら、私も生きてはいけんよ……」

リクはぐっと手綱を掴み、そして、緩めた。涙がとめどなく溢れる。

父さん、母さん、アリシア……。

みんなの笑顔が浮かんだ。そして、最後に見たアリシアの寂しげな顔も。

「なんでなんだ……どうして!!」

去っていくザイオンに向かって叫んだ。その姿も、熱い涙がかき消していった。

 

 

アルの家は跡形もなく消えていた。地上は大きくえぐられ、その下の、「遺跡」と一時騒がれた、島の底部を覆っているアリウム層が丸見えとなっていた。ザイオンの攻撃は相当の熱量をともない、その被害は島の底にあるアリウム層にまで達していたのだ。一部分のため島が落ちる危険はないが、同じ爆弾を何箇所も落とされたら、この小さな浮島は確実に沈むだろう。そういう脅しもこの攻撃には含まれているに違いないと島の住民は震えあがった。

なんの脅威も無かった平和で美しい浮島ラーザは、一瞬にして恐怖と不安に怯える戦時下の島のように変貌した。

アリウム層の補修は島の住民みんなで行われた。リクもその作業に参加した。しかし、その顔に表情はなく、もくもくと仕事をこなすのみだった。

隣のサイおじさんの農地は、爆風でかなりのダメージを受けたものの、その広大な敷地のため、家は被害を免れていた。リクを心配して作業中に何度も差し入れをしてくれた。

グース号を失ったグレッグは、港近くに宿をとり、そこにこもって何やら考えをめぐらしていた。トニーは実家からそこに何度も通い、アルたちのことを思い毎回泣き、そこにときどきやってくるリクのことを気にかけた。

マーズとショーンは、不穏な空気に包まれた島で、残り少ないかもしれない二人の時間を大切に過ごすため、船をおりることをグレッグに告げた。

もう船はないのに律儀なことだ、とグレッグはリクに笑って話したが、リクの反応は薄かった。

アリウム層の修理もようやく終わり、その広い部分に土がかぶせられた。周囲のわずかに残った被害の少ない農地も手入れをされないまま放置していたため、葉が枯れ、ゆらゆらと風に揺れていた。

リクは誰もいなくなった家の跡地にやってきて、じっと立ち尽くしていた。

……なんにも無くなってしまった。家も、畑も、そして、家族も。

ゆっくりとその場にしゃがみこみ、手で少しだけ土を掘った。そして、懐から大事そうにランカの苗木を取り出すとその穴に置き、土を優しくかぶせた。

ここでの出来事が今ではまるで、夢物語のようだ。リクは目を閉じた。その心はひととき、家族との楽しい思い出に満たされ華やいだ。しかし目を開くと、現実がリクを襲い、心臓をわしづかみにされたような息苦しさに見舞われ、地面に手をついた。

馬の蹄の音がする。だれかが馬から降りて近づいてくる。この足音は知っている。この大きくて力強い足音は、グレッグ船長だ。

リクは袖で目をこすった。

グレッグは黙ってリクに近づき、地面を覗き込んだ。そして、隣にしゃがみこむと腰にぶら下げていた水筒を外し、苗木にそっと新鮮な水を振り掛けた。

「花は放っておいてもそこら中に咲くからな」

そう言って優しくリクの頭に手をのせた。

リクは拭った涙がまた流れていることに気がついた。

グレッグは赤い目をした孫同然のリクを抱き寄せた。その暖かい胸の中でリクはしばらくの間、泣いた。

野原を駆け抜ける風は以前とかわらず、リクを優しく包んでいた。

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