「やはり美しいものを前にして飲む酒は格別だ」
デリンジャーは上機嫌で、グラスを掲げた。
「どうですかな?皆さま今宵の趣向は楽しんでいただけましたでしょうか」
客たちは最初、狐につままれたような顔をしていたが、新たな鑑賞物が現れると驚嘆の声をあげた。
「いや、これはすばらしい!」
「先ほどのものにも目を奪われましたが、こちらを前にしては霞んでしまいますな」
「いったいいくつの宝石がついているのか、小さいものも含めると数えるには相当な時間がかかりそうだ。しかも、この中央のダイヤ!この大きさのものを私は初めて見ました」
客たちは大いに感心して次々に褒め称えた。
「本物にお目にかかることができるとは光栄至極だ。レギナスの王冠は数々の伝説を生む程、その名を馳せていますからな」
デリンジャーは得意満面の笑みで答えた。
「私はずっとこれが欲しかった。夢にまで見ましたよ。ようやく手にすることができて、今はもう何もいらない気分です」
「何をおっしゃいますか。またすぐ別の虫が騒ぎ出すに決まってますぞ」
そこで笑いがおこった。デリンジャーの収集癖は終わりを知らないのを皆知っているのだ。
「しかし、いったいどうやって手に入れられたのですかな?是非お聞きしたいものだ」
客の一人が含み笑いをして尋ねた。
「ああ、それは、ここに控えているボートランドのおかげなのだよ」
デリンジャーは、静かに部屋の隅にいたボートランドを皆に紹介した。部屋に入ったときから、その人相の悪さに客たちは密かに怯えていたが、話を聞いて納得した。
「この男は恐れ知らずで、なんでも盗む。そのかわり報酬がバカ高いがな」
デリンジャーは不適に笑い、ボートランドに目配せした。
「しかし、先ほどの余興はなんだったのです?王冠の偽物を私たちに見せるなんて。すっかり騙されてしまったではないですか」
客たちは顔を見合わせてうなずいた。
「ああ、これは失礼いたしました。あれは餌ですよ。王室の犬へのね」
「な、なに!?王室が嗅ぎつけているのですか」
客たちは慌てふためき、顔を青くした。
「いや、心配はまったくいりません。あんなぼんくら王に何もできはしませんよ。王もその犬も本物を見たことがないのですから。今頃、犬が偽物をくわえ、尻尾を振って王宮へと向かっていることでしょう」
デリンジャーは楽しそうに続けた。
「そして王は、私の弱みを握ったと、ここぞとばかりに責めてくる。今難しい立場ですからね。しかし、切り札と思っていたものはレギナスの王冠ではない。そんなもので侮辱したとなると、私も黙っていません。王は返り討ちにあうでしょう。そこで、優しく手を差し伸べるのです。私の娘を妃に、とね」
「なるほど。そして、王室を裏から操る」
「この国の実権は握ったようなもの」
「いやはや、デリンジャー殿、悪知恵が働きますな。私たちはどこまでもお供いたしますぞ」
皆の歪んだ笑いが交錯する。ボートランドも、ウィルの大失態を思い、思わすほくそ笑んだ。
「そういうことか」
そのとき、どこからか声が聞こえた。皆、不思議そうにあたりを見回していると、続き部屋となっている隣の部屋のドアがゆっくりと開かれ、そこから人影が現れた。
ボートランドが、驚きのあまり腰を上げた。その表情はまるで、幽霊でも見たかのように引きつっている。
「ウィル!……おまえ、なぜここに」
マスクをつけたままのウィルが姿を現すと、皆は一様に驚き、うろたえた。
「今になってよく見てみると、みんな悪人づらをしているな」
ウィルは皆を見回し、そしてボートランドに目を留めた。
「それにボートランド。おまえにはすっかり騙された」
客たちはひるんだが、デリンジャーはまだ強気だった。
「ボートランド、こいつは誰だ!」
「……例の犬だ。なぜか舞い戻ってきたようだ」
「な、なに?」デリンジャーはそれでも威勢を失わない。
「おまえのような野良犬ごときに何ができる。こんなやつ、消してしまえば訳はない!」
そして、ボートランドに向かって叫んだ。
「やってしまえ!」
デリンジャーの言葉に、ボートランドは、少し考えてから、ゆっくりと懐に手を入れた。そして、銃を取り出すと、ウィルに銃口を向けた。
ウィルはじっとボートランドを見据えている。
「やれ!」
デリンジャーの合図にも、ボートランドは動じなかった。
ウィルとボートランドは二人、じっと目を見合わせにらみ合い、動かない。
「お、おい、何をやっているんだ。早くやってしまえ。さもないと私たちは身の破滅だ」
焦り始めるデリンジャーを無視し、ボートランドは、ふっと笑みをこぼした。そして、ゆっくりと銃を下げ、ウィルから視線をはずした。
「またオレの負けか」
「な、なに」
ボートランドは苦々しく笑い、開き直って顔を上げた。
「お前がドジを踏むところを見たかったんだがな。しかし、なぜ偽物だと分かった。あれだってたいした代物だぞ」
ウィルは固めていた体の緊張を解きほぐすと、言った。
「オレはレギナス王に謁見したことがある。そのときそこの王冠が王の頭上で輝いていた。また目にすることができるとはな」
そのときの依頼は人探しだった。納得のいく理由があったため引き受けたが、最終的には相当の危険を伴った。血気盛んなレギナス王は、感情のままに行動する人物で、それが災いして多くの困難をもたらしている。今回の件も、王冠が戻らなければ、本当にこのグランディスに攻め入る心づもりであることは、容易に想像できた。
ボートランドはくくっと笑い、あきれ顔になった。
「まったく見境無い。レギナス王室の仕事までしていたとは」
無視される格好となったデリンジャーがあたふたと怒号を浴びせ始めた。
「おい、ボートランド!高い報酬を払っているんだぞ!私の言うことを聞け!ええい、お前がやらないなら私が……」
そう言って、ボートランドの銃を奪おうとするも、ひょいっとかわされ空をつかんだ。
それを見て、ウィルが一喝した。
「じたばたしても遅いぞ。おまえたちにはもう未来はない」
デリンジャーはひるみながらも、強気な姿勢を崩さなかった。
「な、何を!あんなのろまでうつけの王に、大それたことができるわけがない!」
「誰がのろまでうつけだって?」
開かれたままの、隣の部屋のドアのうしろから声がした。みんなが一斉に目をやると、マスクをつけたままの、ぽっちゃりめの若い男と栗色の髪の女がゆっくりと現れ出た。
「誰だ、おまえたち!舞踏会の客とはいえ、勝手に部屋に入り込むとは!」
「ああ、それは失礼した。しかし、私の顔を見忘れたのかな。議会でいつも会っているのに」
「議会?」
若い男は緑のマスクに手をかけ、それを外すとゆっくりと顔を上げた。
「へ、陛下!」
デリンジャーは声を裏返し、さすがにおじけづき後ずさった。他の客たちは、驚きと恐怖で腰砕けとなっている。
「悪事は洗いざらい吐いたようだ。尋問する必要がなくなったな」
ウィルは王に向かって言った。
ウィルは、偽物を前にしたとき、ボートランドの裏切りを悟った。その後、新たな本当のお披露目会場をつきとめると、大広間に戻り、ダンスの最中に見つけたアルバート国王とクローディアを探して、隣の部屋に連れて来ていた。そして、デリンジャーの鼻高々な悪行の自白をすっかり聞いていたのだ。
王は大きくうなずいてから、デリンジャーたち貴族のほうを向いた。
「国の平和を乱す行為だ。決して許すことはできない。厳重に処罰するから、覚悟しておきなさい!」
王が、その様相からは想像のつかない恫喝をして、デリンジャーもへなへなと力なくその場にへたりこんだ。
そのとき、隅にいたボートランドが、一瞬のスキをついて、バルコニーへの扉をけ破り、外に飛び出した。
「待ちなさい!」
クローディアが後を追ったが、既にバルコニーの柵を乗り越え、その姿を消していた。
クローディアは、密かに屋敷を取り囲んでいた近衛兵たちに向かって、「盗賊が逃げたわ!捕まえなさい!」と頭上から叫んだ。
しかし、どこをどう探しても、ボートランドの姿を見つけることは、とうとうできなかったという。