第20章
小さな雲が増えていく中、浮島ザイオンの姿が見え始めた。あいかわらずのどんよりとした空気を抱えたザイオンは、以前よりもさらに緑を失い、その底は逆さになった丸坊主のように、地肌があらわとなっていた。
到着前にリクは、ルルに乗り込み、島の底部を見に行った。島のまわりを赤ムクで飛びまわる警護兵が来るまでに見えたものは、大きな亀裂が入り、全体的にひび割れ、小さなかけらがぽろぽろと落ちている瀕死の島の底だった。
グース号に戻り、リクは顔を青くしていた。
「もうすぐかもしれない。あんな状態ではどれだけもつのか……」
実際に、人々が暮らす島が落ちようとしている。長い歴史で繰り返されてきたという悲劇が、また目の前で起きようとしていた。リクは体が震え出すのを感じて両手で自分の肩をおさえた。
「大丈夫か、リク」
トニーが心配して声をかけた。
「うん、うん……大丈夫だ。急いでみんなを助けなくては」
リクは気持ちを奮い立たせて操縦席に座った。
グース号をザイオンの上空に進め、港に向かっていると、眼下のスクラップ置き場のような込み入った場所に、見覚えのある船の残骸があるのが目に入った。
「スワロー号とホーク号だ……」
変わり果てた姿に愕然としたが、船をここまで牽引されたのなら、乗員もザイオンに連れてこられた可能性が高い。
「みんな無事だろうか」
祈るような気持ちでその場を通過し、港の上空にくると、二人の心配をよそに、すんなりと着陸許可がおりた。グース号は以前から取引のある船のため、なんの警戒もされなかったようで、二人は胸をなでおろした。
着陸を終えると、リクとともにトニーも席を立ったため、リクがその肩を押して、再び操縦席に座らせた。トニーは驚いて、リクを見た。
「トニーはここにいてくれ。いつ何がおきるか、もうわからない。すぐ出発できる状態で、ここで待っていてくれ」
リクはまっすぐにトニーを見て言った。
「おいおい、待ってくれよ。年下のリクだけ行かせる訳にはいかない」
そう言い立ち上がろうとするトニーを、リクはもう一度座らせた。
「大切な奥さんと子供のいる父親を行かせる訳にはいかない。僕はトニーの奥さんに約束したんだ。それに……、それにほら、僕のほうがムクに乗るのが上手だろ。いざというときはその辺の赤ムクをつかまえるよ。大丈夫。みんなに危険を伝えて、すぐ戻ってくる。出港準備は時間がかかるだろ?船をすぐ出せるようにしてここにいて欲しい。……頼むよ」
トニーもまっすぐにリクを見つめ返し、そして、諦めたようにうなずいた。
「わかったよ、頑固者。必ず戻ってこいよ。来なけりゃ迎えに行くからな」
そう言って、ふてくされたように操縦席に深く座り込んだ。
リクは笑顔でうなずき、格納庫へと降りていった。
船を出ると、港の係りの者が出てきて応対してくれたが、卸す荷など何もないため、リクはとっさにでたらめを言った。
「今日は兵器を入荷しようと思って。そろそろ手を出してみようということになったんだ」
「それはいいことだ」と係員は疑うことなくうなずいた。
「だが、今日は工場広場で空賊の処刑があるから、みんなそっちに出払っててね。それが終わったら、詳しいものが戻ってくるから、どれにするか相談するといい」
リクはそれを聞き心臓の鼓動が速くなるのを感じた。しかし、動揺をさとられないように笑顔を作ってうなずき、去っていく係員に手を振った。
空賊の処刑って……。ライラさんやグレッグ船長のことだ!
「大変だ……」
リクはつぶやき、慌てて振り返った。ハッチが開いたままだったため、この話がトニーに聞かれたのでは、と心配になったからだ。またトニーが自分も行くと言い出しかねない。しかし船の中は静かだった。
ほっと息を吐いてから、リクは頭の中のザイオンの地図から、さっき係員が言っていた工場広場への道を探り、急いで向かうことにした。港の係員の人影は少なく、建物の中は閑散としている。
港を出る前に、大きな中庭に面した一画にある広いムクの厩舎を通りかかった。広いとはいえ、相当数いる赤ムクたちは窮屈そうにじっとしている。その奥の隅にザイオンではめずらしい青ムクが小さくなって固まっているのが見えた。きっとホーク号のムクに違いない。リクはきょろきょろとあたりを見回してから、その厩舎の扉をそっと開けた。
ムクで飛んで向かったほうが速いと思ったのだ。しかし、青ムクはこのザイオンでは目立つと考え、乗ったことはなかったが、赤ムクを中から一頭連れ出した。
「赤ムク、よろしく頼むよ」
厩舎の扉はそのまま開けておくことにした。
「何かあったら、みんな逃げるんだぞ」
ムクたちは、何事だろう、という顔をして、リクを見ていた。
鞍を探してあたりを見回すと、扉の無い隣の部屋にムク用の装備品がずらっと並んでいるのをみつけた。その中にあった鞍を取り付け、ついでに隅に置いてあった警護兵が常にかぶっている人間用の兜をかぶった。これで怪しまれないだろう。
赤ムクは青ムクより大きいため乗り込むのも勝手が違う。鞍の座り心地もなんとなく悪く感じ、リクは足に力を入れた。
「よし、行こう」
慣れないながらもリクは、中庭から、どんよりとした空気の上空へと飛び立った。
工場広場は、ザイオンでも大きな工場が連なる地域の中央に位置している。リクはその目印として、上空へと伸びる特に大きな工場の煙突群に向かって飛んだ。
もくもくと空へと流れる煙突からの黒い煙に顔をしかめながら、その間をすり抜けた。
リクはこの煙が自然を壊していくんだと思った。息をするのも辛い。人間がこうなのだから、木や植物も呼吸ができずに死んでいくのは当然だ。
工場の建物を抜けると、間にぽっかりと空間のある場所に出た。
「工場広場だ」
リクは上空から様子を伺った。
広場のまわりには数多くの人々が集まっていて、遠巻きに中央を見つめている。
その視線の先には太い棒がずらりと一列に立てられており、よく見ると、その一本一本に次々と、身動きできないように縄でぐるぐると人間が巻きつけられていった。それは、共に戦った人々だった。
「グレッグ船長!……ライラさん……」
ホーク号のみんなやレオノールの姿もある。みんな無事であったことに胸をなでおろしたが、これから恐ろしいことがおこるのだと思うといてもたってもいられなくなった。
広場の一辺の一段高くなった場所では、ザイオンの役人らしき人が、壇の下にいる人々にあれこれ指図をしている。さらにその役人の奥には、居心地の良さそうな大きな椅子に深く腰かけている男が、ゆっくりと自分のあごひげをなでていた。
人々を縛る作業の最後の二人が終わり、その棒の列からザイオンの人間が全て離れた。
縄できつく巻かれた最後の二人の顔を見たとき、リクは目を見開き、大きな息を吸って思わず口に手を当てた。
「父さん!母さん!」
リクは赤ムクでその上空を飛びまわり、何度も二人の顔を見た。そのうち視界が涙でぼやけ、慌てて兜の下に手をいれて、それをぬぐった。
「生きていてくれたんだ……生きていて……」
喜びで胸がいっぱいになった。ラーザでの襲撃が思い起こされ、今ここにいる二人をその目で何度も確かめた。
「必ず助ける!必ず!」
あごひげの男の合図で、太い棒の向かい側に、鎧兜をまとって弓矢を手にした兵たちがそれぞれ立ち並んだ。処刑は弓矢で行われるのだ。なんて残酷なんだとムクの手綱を持つ手が震えた。今こそ言うべきときだと決心し、リクはムクを降下させた。
処刑がはじまろうというときに、いきなりムクが降りてきたことに役人は激怒した。
壇の後ろに赤ムクをおろし、急いで壇上にあがる。兜をかぶっているので、役人はリクのことを怪しみはしなかった。
「おまえ、何をしている!どこの所属の兵だ?」
役人が不機嫌に詰問するも、リクは引き下がらなかった。
「こんなことをしている場合じゃない!浮島の底に亀裂が入っているんだ。今にも崩れ落ちる。早くみんなを避難させてくれ!」
「崩れるとは、……何がだ?」
「浮島だ!このザイオンが落ちるんだ!」
「何!?」
役人もまわりにいた兵たちも一瞬たじろいだが、お互いに顔を見合わせると、大きな声で笑い始めた。
「何を言っているんだ。島が落ちるわけがないだろう。しかもこのザイオンが!」
あざ笑いリクを見下し、とりあおうとしない。
リクは兜の中からあたりを見回して、とっさに立ち上がると、小さなテーブルにおいてあった拡声器をつかみ、一列に並んだ大切な人々の、その奥に群がる民衆に向かって叫んだ。
「島が落ちるぞ!今すぐ避難するんだ!」
「お、おい、お前、何を勝手なことを!やめろ!」
見物に来た民衆は、どよめきお互いに顔を見合わせるも、誰もその場を動こうとしない。
リクはまわりの兵たちに両脇を抱えられ、拡声器を奪われそうになったが、抵抗しながら叫び続けた。
「ザイオンはもうもたない。もうすぐ落ちるんだ!早く、早く逃げてくれ!」
必死に懇願したが、動くものは誰もいなかった。
「なんだ、あいつ?」
「きっと気でも触れたんだろ?」
うすら笑いを浮かべながらざわめく民衆の前で、リクは拡声器を奪われ、その場にねじ伏せられた。落ち着いた声が背後から聞こえる。
「兜をとれ」
「ジーコフさま。お見苦しいところをお見せしました。いやはや、処刑の前にこんなことになるなんて。こやつはとっとと牢に入れておきます」
「いいから、兜をとれ」
ジーコフは、そのあごひげをさすりながら、ゆっくりと大きな椅子から立ち上がり、リクに近づいた。役人は腰を低くして恐縮すると、慌ててリクの兜をもぎ取った。
一列に並んだ、縛られて身動きのできない人々が息をのんだ。
ジーコフは壇の上に押さえつけられたリクの顔をおもしろそうに覗きこんだ。
「おやおや、これはこれは。……見覚えのある顔だな」
リクはジーコフをにらんだ。リクもその顔に見覚えがあったからだ。この顔は忘れもしない。ラーザの襲撃の前にすれ違ったザイオンの船に乗っていた男だった。
「空賊の仲間だ。こいつも縛りあげろ」
「リク!」「逃げろ!」縛られた人々から悲痛な叫び声が上がる。
ジーコフは笑みを浮かべて立ち上がり背を向けると、大きな椅子に向かった。
リクは両腕をつかまれ壇の下へとひきずり下ろされた。それでも抵抗しながら、叫び続ける。
「本当なんだ!ザイオンは落ちる!早く逃げてくれ!」
そのとき、足元からドスンという衝撃が駆け上った。人々は動きをとめ、とっさに地面を見つめた。
リクが乗ってきた赤ムクが、単身で上空に飛び立った。
次の瞬間、激しい揺れが島全体を襲った。
「きゃあ!!」
「なんだ、これは!」
人々は立っていることができず、その場に倒れこんだ。周囲の工場はきしみ始め、大きな亀裂が入ると、一気に崩れ落ちた。広場に隣接する工場が崩れると、ザイオンの兵たちは飛びのいて腰を抜かした。人々の悲鳴が響きわたる。
恐ろしい光景だった。高くそびえる煙突も次々に倒れ、人の作った建造物は積み木のようにもろくも崩れ去っていく。地面は長い間揺れ続け、そしてようやく、その動きは止まった。重なり合い、倒れこんだ人々はおそるおそる顔を上げた、
「落ちる……」「本当に島が落ちるんだ」
口々につぶやき、一気に人々はパニックに陥った。
「逃げろ!港だ、港の船に乗るんだ!」「ザイオンが落ちる!」
人々は一斉に港の方向に向けて走り始めた。壇上にいた役人も、弓矢を持った兵たちも、顔を引きつらせて、慌てて逃げていった。リクの両脇を抱えていた兵も、自分の仕事などすっかり忘れて、走り去った。
中央の太い棒に縛られていたおかげで、崩れた建物の被害にもあわず、立ちつくしていた一列に並ぶ人々は、あっという間に誰もいなくなってしまったこの広場で、危険な状態であることも忘れて、残されたリクと、視線を交わし、笑いあった。
「今、縄をほどくよ」
リクは急いで懐からナイフを取り出し、次々とみんなの縄を解いていった。
「よく、戻ったな」
グレッグがその懐かしい笑顔で声をかけてくれた。話したいことがたくさんあった。飛人のこと、雲の下の世界のこと。でも今は、アリシアが無事だということだけ伝えると、二人ともあとは無言でただ抱き合った。
「おまえ、やるじゃないか」ライラはにやけながら、リクの肩を抱き寄せた。
「よく無事だったな。君にはまた助けられた」レオノールはあいかわらずのりりしい笑顔で、リクと固い握手を交わした。
縄をほどかれた三人が他の仲間の縄を切りに走った。リクは端の棒に縛られているアルとミナのもとに向かった。二人はやつれたその顔に涙を流しながら、リクを迎えた。
「……父さんたち、いつから空賊になったんだい?」
リクも、こらえることなく泣き笑いの顔で言った。アリシアが無事であることを伝えながら二人の縄をほどき、三人は固く抱きしめあった。こんなうれしい日がくるなんて思いもしなかった。もう二人には二度と会えないと、暗闇の中で絶望にうちひしがれていたというのに。リクは二人の顔をもう一度見て大きくうなずくと、涙をぬぐってみんなに振り返った。
「早くこの島から逃げよう!」
そのとき、上空からプロペラ音が聞こえてきた。力強いその音には聞き覚えがあった。リクが笑顔となり見上げると、半分崩れ落ちた工場の影から、頼もしい雄姿が現れた。
「なんと!グース号じゃないか」
グレッグは目を疑い、そして笑顔となりリクを見た。
「トニーだ!トニーが来てくれたんだ!」
グース号は、人々のいなくなった広場の、工場の残骸が落ちていない場所を選び、静かに着陸した。操舵室の窓が開かれ、得意顔のトニーが顔を出した。
「あんまり遅いから、約束どおり迎えにきたぞ!」
「トニー……」
リクはその頼もしい兄同然のトニーの顔を見て、抱きつきたくなるほどうれしくなった。ハッチが開かれ、皆喜んでグース号にかけ乗っていると、最後に残ったリクの背後から、何やら人のうめき声が聞こえてきた。
驚いて振り返ると、誰もいないと思っていた壇上に動くものがある。リクが急いで駆け上がると、背後の工場の崩れ落ちた壁の下敷きとなっていたジーコフが、挟まれたまま手を伸ばしていた。
「大丈夫か?!」
リクは急いでその壁をどかそうとしたが、一人で動かすことは難しかった。ジーコフはうなりながら、その痛みに耐えきれず顔を歪ませている。
「どうした?誰かいるのか?」
ハッチの間際にいたアルが駆け寄ってきたが、ジーコフの顔をみるなりその足を止めた。
「こいつ……」
リクははっとした。ジーコフはラーザの襲撃の船に乗っていた。つまり、三人を誘拐し、アリシアへのむごい仕打ちをした張本人なのだ。
父はどんなに辛く苦しい思いをしたことか。アリシアの身に起きたことにも、自分の身が引き裂かれる思いであったに違いない。リクはそれを思い、胸が痛くなった。
そのとき小さな揺れがおこった。すぐにおさまったが、それによってアルは我に返った。
「おーい!急げ!」グース号から声がかかる。
アルは唇を堅く結んで駆け寄り、ジーコフの上にある重い壁に手をかけた。
「父さん……」
アルはうなずき、「一気にどかすぞ、いいな」と言って、掛け声をかけ、二人でその重い壁を取り払った。
砂埃が舞う中、立ち上がれないジーコフに、アルとリクは肩を貸した。誰も何も言わない。三人はゆっくり歩き、ようやくジーコフをグース号に乗せ格納庫に座らせた。
アルはジーコフを睨みつけ「おとなしくしてろよ」とだけ言い、リクの肩をポンと叩いて操舵室にあがっていった。
「さすが、オレの父さんだ」
自分の憎しみを抑えて命を救う。リクは自分の父親を誇らしく思った。
それからきびすを返して、ムクの厩舎を開け、ルルに鞍をつけ始めた。ジーコフはそれを目で追いながら、力なく言った。
「本当に……本当に、このザイオンが落ちるのか?」
現状をまだ信じられず、目はうつろとなっている。
「なぜ、おまえは知っていたのだ?」
リクは手を止めて振り返った。
「飛人に聞いたんだよ」
まっすぐにジーコフを見て答えた。
「飛人……まさか……まさか、本当に、飛人の呪いが……」
「違う!」
リクはあきれてジーコフに近づいた。
「これはあんたたちが招いたことだ!自らの欲のために自然を破壊した結果がこれだ。そうやって、あんたたちは自分の住む世界を殺していくんだ!」
それだけ言うと、リクはルルに乗り込みハッチから飛び出した。
ジーコフは呆然とし、がっくりと肩を落としていた。