第18章
フランネルに教えられた尾根を越えると、そのすぐ下に、半分霧に隠れたグース号が確かにいた。格納庫部分から落下しており、崖のわずかな段差に引っかかっている。
リクは懐かしの我が家との対面に興奮しつつ、その損傷箇所を上空から観察した。
操舵室は無事であり、アリウムのスペースもわずかな傷のみで補修可能だ。ザイオンの攻撃は幸いにも格納庫の横の部分だったため、飛行のための修復はそれほど難しくはなさそうだった。行けそうだ、とリクは思った。この段差に引っかからず崖下に落ちていたら、これだけの軽症ではすまなかっただろうと、冷や汗が流れた。
ルルをグース号の横のわずかなスペースに降ろし、船の中にもぐった。船体が斜めになっているため、歩くのは困難で登る恰好となる。中はめちゃくちゃな状態ではあったが、操舵室はかろうじて被害が少なく計器類も作動しそうだ。隅に飾ってあるムクの飛行大会のトロフィーと像も、強力な接着剤のおかげでそのままの位置に張り付いている。
崖に落ちないよう命綱をつけて傾いた船体にぶら下がり、補修作業を開始したとき、あたりを満たしていた霧が風によってスーッと流れた。遠くの向かい側にあたる崖に現れたもの、それは壮大な滝の流れだった。遠く離れた、相対する崖のその上から、勢いよく流れおちる水の戯れる姿に、リクはしばらく目を奪われていた。
「こんな、すごいものがあったなんて……」
まさに荘厳な風景だった。遠すぎて、その音は聞こえなかったが、濃く深い霧の中へと落ちていく滝は、その底が全く見えないほど長く深く続いていた。
じっと飽きることなく見つめていると、また霧が立ち込め始め、その姿を消し去った。
リクは我に返り、作業を進めながら思っていた。このすばらしい大地を人の住めない場所にしてしまうとは、なんて愚かなことなのだろう。もう一度、いつか人間がこの場所に戻る日はくるのだろうか、と。
まる一日かかった作業もようやく終わり、恐る恐るアリウムを充填し始めると、グース号はその船体の傾きをゆっくりと戻していった。ひと安心したリクは、その状態で格納庫に降り、損傷部分のぽっかりあいた箇所から崖の段差に飛び降りると、ルルに乗り、そのまま浮かびつつある飛行船へと飛び込んだ。
やっぱり、一人でグース号を操縦していくのは大変だ……。
そう改めて思いながらも、ルルを格納庫の損傷部分から離れた、かろうじて残っている厩舎につなぎ、自分は操舵室に戻って、操縦席に座った。
「よし、頼むぞ、グース号」
アリウムをさらに充填させると、その船体はぐんぐんと上昇を始めた。計器類も問題ない。そのままグース号は、上空の厚い雲の層へと侵入していった。
冷えた空気が船体を締め付ける。いたるところで船が悲鳴をあげていた。
風の抵抗を受けぬよう帆は閉じて、プロペラを必死にまわしているが、強い気流の流れのため、思う方向へ飛ぶこともままならなかった。濃い灰色の世界は自分が進む方向を迷わせる。大地を閉じ込めたこの厚い雲の海で、リクは溺れてしまいそうになるのを必死でこらえ、上昇を続けた。
ようやく、灰色の上空がうっすらと明るくなった気がした。そう思った次の瞬間、グース号は突然、太陽の輝く世界へと飛び出した。
あまりの眩しさに手をかざす。そして、急いで上昇をとめる操作をし、しばらくその場にたたずんでいた。遠くに浮島ラーザが見える。輝くこの世界では、太陽はどの浮島にも平等に降り注がれていた。
リクは眼下となった厚い雲海を見下ろした。日の光を反射して、眩しいほどに光るその雲の波の下に、あんなに悲しい世界があることなど、想像もしていなかった。
グース号は、冷たい空気で固まったその体を、太陽の光でほぐし、喜んでいるようにミシミシときしんだ。
いつか、この太陽の光をあの世界にも届けたい。リクは強く思った。
燃料と食糧の補給のために、ラーザに一度戻ることにし、船を進めた。
懐かしいわが故郷であるラーザの港に入ると、そこで働いているトニーが、あんぐりと口をあけて、上空を見上げているのが見えた。他の係員たちもざわざわとしはじめている。グース号は落ちた、と皆知っていたから、幽霊船でも見るかのような表情だった。
半信半疑な状態で係員が停泊位置に誘導してくれたため、リクはゆっくりと着陸をした。格納庫へおりていくと、ぽっかりと開いた攻撃あとから、トニーが恐る恐るのぞきこんでいる。リクを見ると、目をまん丸にして驚きの声をあげた。
「おい!なんでお前がここにいるんだ!なんで落ちたはずのグース号に?!」
「トニー!」
元気そうなトニーに会えた喜びとともに、リクは格納庫の穴から船外に出ると、トニーや集まってきた港の人たちに長い説明を始めた。
ライラやグレッグ、仲間が受けた攻撃。死んだと思っていたアリシアを見つけて雲の下に下りたこと。そして、そこにいた飛人のことと、その飛人から聞いたザイオンの話。
トニーたちは驚き、さまざまな表情を浮かべながら、じっと聞いていてくれたが、最後に、ザイオンの人々を助けに行く、という話をすると、みんな不満の声を上げた。
「アリシアが生きていたからといって、ザイオンを許すのか?」
「あんなむごいことをしてきたんだぞ」
リクはじっとみんなの言葉を聞いて大きくうなずき、それでも、「行く」と告げた。
「命はかけがえのないものだ。どんな人であっても、オレは見捨てることはできない」
その決意に満ちた言葉を聞いて、みんなは気まずそうに黙り込んだ。
しばらくして、トニーがため息をついてから、口を開いた。
「しょうがないな、こいつは一度言ったらきかないんだ。燃料代はツケだぞ。必ず払いにここに戻って来い」
トニーは笑顔となって、リクの頭を小突いた。他の人たちも笑顔を見せ、さっき言った強い言葉を打ち消すように言った。
「まあ、そうだな。命っていわれちゃあ、見捨てるわけにはいかんな」
「こんな大きな穴があったら、飛びづらいだろう。どれ、今、他に船はいないから、直してやるよ」
「急ぐんだろ?倉庫にいいプロペラがあるんだ。眠らせとくのはもったいないから、つけてやる。極上品だから、スピードが出るぞ」
「ありがとう……みんな」
リクは、暖かい故郷の人々の言葉に、胸を熱くした。
全作業員を動員して大急ぎで作業は進み、翌日にはすべての作業が終了した。燃料は満タンとなり、格納庫の穴もふさがり、船体には追加で大きなプロペラが設置された。
立派になったグース号を眺め、みんなで完成を喜んでいると、トニーが、目を赤くした奥さんとなった彼女を連れてやってきた。
「オレも行くよ、リク」
「え?」
リクは驚いてトニーと奥さんを交互に見た。トニーはいたわるように、泣きはらした赤い目ながらも必死で笑顔を作ろうとしている奥さんの肩を抱いていた。
「昨日一晩話し合ったんだ。こいつも了解してくれた」
そう言って奥さんをいとおしそうに見る。
「そんな。トニー、だめだよ。奥さんを悲しませないでくれ」
奥さんは首を振って「大丈夫よ」と小さく笑った。
「実は、こいつのお腹に子供がいるんだ」
そう言ったトニーは照れた顔を見せながら、力強く続けた。
「オレ、子供ができて、いろいろ考えるようになったんだ。今のオレはこの子に誇れるだろうか。立派な父親として映るだろうかってね。だけど、オレの中では、前回お前たちと一緒に行かなかったことがずっと後悔として心に残っていたんだよ。オレ、このままじゃダメだと思うんだ。自分の生き様を、胸を張って子供に語りたい。だからオレ、お前と一緒に行く」
「トニー……」
リクはうなずいた。
「わかった。一緒に行こう、トニー」
そして、奥さんに近づき手を取った。
「必ず一緒に帰ってくる。心配かもしれないけど、必ずトニーは無事に戻ってくるから」
奥さんはこらえていた涙をこぼし、何度もうなずいていた。
それから、リクとトニーは急いでグース号の出発準備をした。ひさしぶりのグース号にトニーも興奮状態だったが、奥さんとの別れのときには、ぐっと涙をこらえて男らしく振舞った。
二人は並んで操縦席に座り、顔を見合わせた。それはリクにとって、うれしくもあり、くすぐったいような気恥ずかしさもある船出だった。グース号の補修を全力でしてくれた港の人々に別れを告げ、必ず帰る約束をし、グース号は再び故郷の港から飛び立った。