第16章
冷えた空気が体を突き刺すようだった。激しい気流の流れに、もはやルルをコントロールすることはできない。視界は利かず、濃いグレーがあたりを埋め尽くしている。アリシアはもちろん、その背に乗っているにもかかわらずルルの頭の先すら見えなくなっていた。
長い時間、必死にルルにしがみつき、目を凝らしてとにかくアリシアを探したが何も見えない。空気の流れに翻弄されながらも降下し続け、ようやく眼下の深い灰色が薄れた。風の抵抗もやみ、ルルの体勢を整えて、急いであたりに目をやった。
薄暗く、かすかな霧が立ち込めている。
その中で、アリシアがふんわりと力なく宙に浮きながら、降下を続けているのが遠くに見えた。それはリクを安堵させるとともに、激しい衝撃をも与えた。
「これが、飛人……」
意識のない体が、ゆっくりと落ちていく。翼もアリウムもない状態で人が宙にあるという状態を、リクは不思議な気持ちで見つめた。そして、静かにルルを近づけ、ゆるやかな降下を続ける小柄な体を、その下から受け止める。
ふわふわとしたその体に触れ、そっとその長い栗色の髪をかきあげた。
目を閉じ、青白い顔をしているが、ゆっくりとした呼吸で息をしている。
ずっと、もう一度会いたいと願っていた大切な女の子が、確かにリクの腕の中にいた。
「アリシア……」
涙が、堰を切ったように溢れ出した。
絶望の淵にたたずんだ日々など、忘却の彼方へとおいやろう。ここにこうして、アリシアがいてくれる。ただそれだけで、リクの心は満ち足りて、アリシアの、重みのないその体を力強く抱きしめた。
すると、徐々にその体に重力が戻ってきた。二人を乗せて飛行することは、ルルにとって困難なことだ。
リクは慌てて眼下を見下ろした。霧が充満していて下がまったく見えない。こわごわとした気持ちで降下を続けて、ようやく見えてきたものにリクは目を見張った。
「ここは、いったい……」
眼下に広がるもの。それをリクは空の底だと思った。うすもやの中、はるか彼方まで続くその大地には、植物や木々が一切なく、生気がまったく感じられない。
暗く、ごつごつと荒れた岩肌を見せるその大地に、リクはゆっくりと降り立った。
重みの回復したアリシアを、まるで壊れやすいガラス細工のように注意深く、その大地に横たえた。
「アリシア……アリシア……」
いつまでも見ていたいその顔を眺めながら、リクはやさしくその頬に手を当てた。
体がぴくりと動き、その目がゆっくりと開く。目の前にあるリクの顔に焦点を当てると、深いまばたきをし、そして、アリシアは口を開いた。
「誰……?」
リクは硬直した。
アリシアはゆっくりと上半身を起こそうとしたため、リクが手を貸そうとすると、その手はむごいことに跳ね除けられた。
「アリシア?アリシアだろ……?」
リクは、確信を得ながらも、確かめるように聞いた。
「……そう呼ぶ人も、いる」
冷たく、感情のない声だった。その、氷のように美しく成長したアリシアの両肩を持って、リクは必死に言った。
「オレだよ、リクだ。砲弾からかばってくれたんじゃないのか?オレのこと忘れてしまったのか?」
激しく問い詰められ、アリシアは少し困ったように眉間にしわを寄せた。
「わからない……」
愕然とアリシアを見つめていると、リクの後方でどさっと何かが落ちる音がした。驚き振り返ると、さっきまで元気だったルルが地面に倒れこんでいた。
「ルル!」
立ち上がろうとすると、目の前の目覚めたばかりのアリシアまでが、リクに力なく倒れこんできた。抱きかかえながら、リクも自分の異変に気がついた。
なんだ、これは……。目の前が暗くなっていく……。胸が、苦しい……。
リクも、次第に意識が遠ざかっていくのを感じた。
かすかな意識の中、リクは、誰かに抱きかかえられている感覚を抱いた。見知らぬ力強い腕に。
そして、それと同時に宙を飛んでいるような浮遊感を感じた。しかし、それはムクに乗っている感覚とはまるで違うものだった。
不思議に思いながらも、息苦しい状態は変わらず、リクはまた、意識を失ってしまった。