第13章
それから2日後の午前零時過ぎ。月は厚い雲で隠され、暗闇が世界を覆っていた。
ザイオンの貿易船は、視界の利かないその空中で低いプロペラ音だけを鳴らしていた。
通常灯される障害灯さえ今夜は消され、窓という窓には光が漏れぬよう目張りまでされている。用心に用心を重ねたその姿は、大きい図体ながら、恐怖で震えているようだった。
「撃てぇ!!」
その合図とともに、レオノールの船ホーク号から、二つの、月のように輝く照明弾があがった。
「来た!」
リクはスワロー号の上部の砲台の上で、弾筒のハンドルを握りしめた。
ザイオンの船の上空にあがった照明弾のおかげで、あたりは一気に明るく見渡せるようになった。今まで見たもののなかでもひときわ大きな貿易船に、リクは一瞬身をすくめたが、すぐに気を取り直して眼光鋭くにらみつけた。
ザイオンの船は瞬く間に光を灯しだし、緊急事態に船員が右往左往し始め、やみくもに四方八方へと砲弾をとばした。
ホーク号からは8頭の青ムクが次々と飛び出し、狙いの定まらない砲弾をよけながら先制攻撃をしかけた。飛行船は計器類がなければ順調に飛ぶことも、着陸することも困難となる。そのため、最初の攻撃目標は計器類の詰まっている飛行船の底部であった。
レオノールの青ムクが鮮やかな飛行で貿易船の下に回りこみ、爆薬をしかけて、すばやく離れた。次の瞬間、爆音が響き渡り、炎が小さく上がった。計器類のみを破壊したため、船の浮揚には支障をきたさない。
ザイオンの貿易船はその衝撃の中、後方のハッチを開き、赤ムクを放出した。リクが数えると、10頭はいる。ここからがリクたちの仕事だった。暗闇の中から照明弾の明かりの届く距離まで船を進ませ、援護射撃をする。
この2日間、相当練習していたものの、引き金にかけた手が、少し震えた。
ザイオンの護衛兵の一人が、スワロー号に気がつき、こちらに向かって飛んできた。頑強そうな鎧に顔まですっぽりと隠れる兜をつけた兵と、装備された赤ムク。手には突起のついた丸い鉄球を持っている。それが、リクに向かって近づいてくる。
リクはそれを見て緊張が走ったが、すっと表情を変え、引き金を引いた。
「うおっ!」
ザイオンの兵は体を赤く染め、のけぞった。手にしていた鉄球は眼下の雲の中へと落ちていく。ムクの装備も真っ赤に彩られる。
視界を奪われた兵は急いで兜を脱いだ。それを見て恐怖に震えるも、痛みを感じていないことに気がつく。
「なんだ、これは」
戸惑ううちに、もう一度リクの攻撃が直接その顔を襲う。
「う、うわ、な、なんだ、目が!目が!」
激辛香辛料をたっぷりと混ぜた、赤いペイント弾の効果は絶大だった。
「おもちゃみたいだけど、これが結構きくんだよ」
ライラのいたずらっ子のような笑顔が浮かび、リクはおおいに納得していた。
ザイオンの兵は戦闘意欲を失い、悲鳴をあげながら、退散していく。赤ムクもペイント弾を浴びて視界を失っているため、ふらふらとした飛行だった。
改めて見渡すと、ザイオンの赤ムクは早くも6頭となっていた。退散していく兵たちは赤や黄色で染め上げられている。ホーク号からの攻撃は黄色となっており、スワロー号は赤となぜか決められていた。どうやら、お互いのしとめた数をおもしろがって比較するためらしい。
ライラが担当する下部の砲台から赤いペイント弾が放たれ、さらに一頭しとめていた。
レオノールたちの青ムクは細かく動きまわりながら、貿易船の砲台を次々と破壊していく。防御のうすくなったところで、スワロー号は打ち合わせどおり、さらに船体を前進させた。船の操縦はグレッグがしている。
ザイオンの貿易船の、まだ生きている砲台から死角になるところを選んで進み、リクたちが狙いやすいように船体を傾ける。
「船長ってこんなに操縦がうまかったんだ」
この船に乗ってからも感じてはいたが、リクは今回改めてそう思った。グース号では指示するだけで、実際操縦するところはほとんど見たことが無かった。
リクはそこで、また一頭の赤ムクをしとめた。そして、さらにもう一頭、と思ったが、次に狙った赤ムクは、他の護衛兵と違うキレのある飛行をしていて、なかなかペイント弾を当てることができなかった。それになぜか、こちらに攻撃しようとしない。リクの攻撃範囲を超えてしまったため、口惜しく思いながらも目で追っていると、ライラや、ホーク号、そして、レオノールたち青ムクの攻撃もひらりとかわし、その大きな翼の風圧で、青ムクを一頭吹きとばしていただけだった。
スワロー号は予定の位置に進んで次の攻撃をしかける手はずだったが、リクは少しの間、その赤ムクの背に乗っている、小柄な鎧兜の兵から目を離すことができなかった。
「この飛び方は……まるで……」
「リク!行くよ!」
送伝管から、ライラの合図が聞こえた。
リクははっとして我に返り、計画どおり、貿易船の操舵室にむけていくつものペイント弾を放った。計器と視界を奪われては船の航行は全くできなくなる。赤く染まっていく貿易船。その天井にはレオノールたちが爆弾を抱えて、アリウムのスペースを打ち破るぞ、という脅しのポーズをとっていた。
そのうち、貿易船の後方から小さな船が飛び出し、浮島ザイオンの方向に向かってスピードを上げた。降伏のサインだ。空中に残った赤ムクは既に、リクの心を奪った1頭だけとなっていた。
その背にのる小柄な兵は、小型飛行船に顔を向けると、赤ムクの方向をくるりと変え、その後に続き小さくなっていった。
「まさか……そんなはずはない……」
歓喜に沸く味方の声をよそに、リクは頭を振りながら、いつまでも、その兵の背を見つめていた。