第10章
ザイオンの攻撃から1年近い月日がたっていた。あれ以来襲撃はないものの、誰もあの恐ろしい出来事を忘れることはできなかった。島の市長がザイオンに抗議文書を送ったが、片田舎の小さな浮島のことなど眼中にないとでもいいたげに、返信はまったくなかった。
近隣の島にも、ザイオンの奇襲の話は伝わり、平和に過ごしてきた島々に、軍事強国に対抗する術があるはずもなく、皆びくびくとしながら日々を過ごしていた。
リクはグレッグの宿に身を寄せ、トニーと一緒に港で船の補修の仕事をしていた。トニーは最近できたという彼女を紹介し、リクを遊びに何度も誘ったが、リクは無理をした精一杯の笑顔をトニーに見せるだけで、首を縦に振ることは無かった。
「リクはすっかり変わってしまった」
あんなことがあったのだから、仕方ないかもしれないけど、とトニーは暗い顔で付け加えて、グレッグにこぼしていた。
リクがいつものように港で仕事をしていると、見覚えのある年代物の飛行船が来航してきた。この船を港で見るのは初めてだった。いつもはザイオンの島周辺の上空でしか見たことが無い。
港の係員たちが慌てて右往左往している。着陸許可を出していいものか、柱に備え付けの電話で管制塔と相談し始めた。
リクは港からその船を見上げた。かつてのグース号のようにつぎはぎだらけで、かえって好感が持てた。「空賊船」という、いかつい呼び名が不釣合いのようにも思えた。
「え?何?グレッグを出せって?」
管制塔と連絡を取っていた係員が聞き返した。どうやら、管制塔に向かって連絡があったらしい。
「グレッグって、グース号のグレッグ船長のことだよな」
地上の係員は数人で確認しあい、グレッグを呼ぶため、港の外へと走っていった。グレッグが港の側の宿にいることは皆よく知っている。
空賊船がどうしてグレッグ船長の名前を……。
グレッグはすぐ姿を現し、「ようやく来たか……」とつぶやいている。
「すまんが、着陸させてやってくれんか。一般人に危害を加えたりしない。私が保証する」
グレッグが港の係員たちに言うと、「グレッグ船長がそう言うなら」とすんなり、着陸許可が下りた。
「さすが船長」
グレッグは長年の付き合いでラーザの港の信頼があつかった。リクも以前は、船長のようにたくさんの港の人々と深い絆で結ばれる船乗りを目指していた。
しかし、今のリクは目標を見失っていた。グース号は雲に沈み、家族は消えた。
ザイオンに対する憎しみは日を追うごとに強くなる。その一方で非力な自分を痛感し、リクの心は暗く打ち沈んでいった。
港の係員たちが見守る中、空賊船がゆっくりと入港した。よく見ると一般の飛行船とは違い、砲台が上下左右に備え付けられている。それもザイオンのそれとは違い、手作り感に満ちたつぎはぎ付きだ。そして、大きなドクロのマーク。これが、一目で空賊とわかる印だった。
指定した位置に着陸すると、しばらくして、ハッチが開いた。空賊がどんな人たちなのか、皆興味津々で注目していると、中から現れたのは以外にも、すらりと背の高い、グレッグよりも少しばかり若いであろう女が一人だけだった。
その女性は、きょろきょろとあたりを見回し、グレッグを見つけると、赤毛の豊かな髪をひるがえして、笑みを浮かべながら近づいた。
「久しぶりね、グレッグ」
「遅かったじゃないか」
「これでも全速力できてやったんだよ」
グレッグと知り合いであることは確かなようだ。
グレッグは、船を停泊させることをまわりに詫び、二人は港の外へと出て行った。
あっけに取られながら見ていた係員たちは、二人が消えてから、さまざまな推測をしていた。
「あの女は空賊じゃないだろう」「でも、この船は明らかにそうだぞ」
「他に乗員はいないみたいだ」「たった一人の、しかも女の空賊か?」
まさかなあ、とみんなで首をひねっている。
この船はザイオンの周辺で確かに見たし、空賊だと皆が認識していた。しかし、空賊のイメージは船から降りてきた女の人とはかけ離れている。どちらかというと、グレッグ船長のほうが空賊っぽい。
それからすぐリクの仕事は終わってしまい、帰ることとなった。宿に戻るにも今は女空賊がいるはずだ。トニーの家にでも行こうかと思ったが、今日は休みだったからきっと彼女と出かけているに違いない。どうしたものかと宿の前でうろうろしていると、2階の、グレッグが借りている部屋からリクを呼ぶ声がした。
「何やってんだ、上がってこい、リク」
グレッグに見つかってしまったため、やむなく部屋に行くと、思ったとおり、女空賊がそこにいた。テーブルをはさんでグレッグと座り、出されたお茶を飲んでいる。リクを見て「おかえり」と笑顔を向けたため、悪い人ではなさそうだと思った。
「この子だね」
女空賊はニヤリとして、グレッグを見た。グレッグは無言でうなずいている。
リクが戸惑っていると、女空賊はリクの目をじっと見つめた。
「……あたしもあんたに拾われるまでは、こんな目をしていたんだね……」
女空賊はしみじみと言った。自分の目がどうしたって言うんだろう。リクはグレッグを見た。そこでグレッグは口を開いた。
「こいつはライラだ。昔はグース号の乗組員だった。お前の先輩ってとこか」
リクは驚いた。グース号にいたことのある人間が空賊になっていたとは。
「なんで?どうして、ここに?」
「オレが呼んだ」
困惑するリクに、ライラと呼ばれた女空賊が話を引き継いだ。
「あんたをあたしのスワロー号に乗せろってさ。いいムク乗りだっていうじゃないか。3年前の飛行大会でレオノールの次だったって?その年でたいしたものだよ」
「ちょっと待って。オレは空賊になるつもりはないよ」
リクが言うと、グレンが苦笑した。
「スワロー号はもともと空賊ではない。反戦を掲げて、まあ、少しばかり荒い活動をしている船ではあるがな」
「そうさ、自分で名乗ったわけじゃない。いつのまにかそう呼ばれていたからね。やけくそで船体にどくろマークをつけてやった」
確かに相手があのザイオンだけなら、空賊と呼ぶのは少し酷すぎるとリクも思ってはいた。今ならよくわかる。あのザイオンを相手にすることがどれだけ勇気のいることか。どれだけ命がけなことか。
リクは疑問に思っていたことを思い切って口に出した。
「ライラさんの目的はなんですか?なぜザイオンの貨物船を狙う?残忍な奴らだということは知ってる。あいつらには、平和的な協定も均衡も必要はないんだ。だからこそあいつらに対抗するのは命がけだ。それなのに、なぜ?」
ライラは少しばかり言いにくそうに眉を寄せ、上目づかいで天井を見た。かわってグレッグが話しはじめた。
「こいつは、ここからずっと遠い浮島ジルの出身だ。あそこは当時、隣島とのひどい戦争状態でな。……その戦争で両親を亡くしたんだ」
リクの行ったことのない島だった。その名も初めて聞いた。戦争で人が死ぬ。わかってはいたことだが、急に身近になり憤りと恐れを感じた。
ライラは不機嫌そうな顔をし、口を開いた。
「その戦争はザイオンによって仕組まれたものだった。両方の島に、相手が武器を装備して侵略をたくらんでいるとささやいた。疑心暗鬼になったほうからザイオンに武器を発注し、その事実にもう一方も武器を調達する。どんどんエスカレートしてついには開戦。あとはザイオンも高みの見物だ。ほっといても二つの島から注文はどんどんやってくる」
ライラは声を落として、怒りを抑えようとしている。
「奴らは人の弱いところにつけこむのさ。結果、人を鬼にも変えてしまう」
リクは愕然とした。武器商人ザイオンは、自分達が利益をあげられれば、人の命なんてどうでもいいのか。そんなことまでしていたとは。
「だけどあたしは奴らと同じじゃない。激しい憎しみを植え付けられても、悪に染まったりはしない。罪を憎んで人を憎まずだ。そう思えるようになって、だいぶ楽になったんだよ。……まあ、それを教えてくれたのは、昔世話になった船の船長だったんだけどね」
リクはグレッグを見た。それは、グレッグ船長のことだろうか。
激しい憎しみを乗り越え、前向きな活動を続けるライラ。グレッグはリクのためにライラを呼んだのだと気づいた。
今でもリクは一人で泣いている。湧き出す怒りを拳を握り必死でこらえている。胸を締め付ける激しい悲しみは、リクの中で真っ黒い憎しみに変わりつつあった。それをグレッグはすべて知っていたのかもしれない。
しばらくの沈黙のあと、ライラが言った。
「スワロー号は命を奪ったりしない。ザイオンの兵器を奪うだけだ。……でもそれだけじゃ何の解決にもならない。根本的なところを叩かないとね。もう少しで全ての情報が集まる。そのときこそザイオンの兵器工場を全て叩きつぶす。ザイオンが2度と武器をばらまかないように。それがスワロー号の目的。あたしの生きる道だ」
もしかして、船長が振られた女の人というのはライラなのかもしれない。この熱い思いに、グレッグの恋心は負けたのだと、リクは思った。
この人にならついていける。リクは強く思い、大きくうなずいた。
「オレ、行きます」
そう言った途端、今までの暗い気持ちが少し晴れる気がした。黒い憎しみに押しつぶされてしまいそうだった心が、またむくむくと少しだけ元気を取り戻したように感じた。
ライラはにんまりと笑ってグレッグを見た。
「あんたはどうする?グレッグ。中途半端に協力してないで、いい加減手伝ってくれよ」
「協力?船長が?」
一緒に仕事をしていたのに全く気がつかなかった。空賊に手を貸していたなんて初耳だ。
「ああ、ときどき情報をもらってたんだ。あたしらはザイオンに堂々と入港できないからね」
そういえば、思い当たることがないわけではない。わずかな荷おろししかないのに、ザイオンとの取引を続けていたのはこういうことだったのかと、リクは納得した。
「なあ、頼むよ。ロンじいさんが年でこの間引退しちまってさ。一人で困ってたんだ」
「おまえの下で働くのはしゃくだが、リクだけ行かせるわけにはいかんからな。むろん、そのつもりだった」
「よし、決まりだ」
リクは顔を輝かした。また船長と一緒に船に乗ることができる。それだけでうれしい気持ちが沸き起こった。
「でも、ちょっと待ってくれ」
リクがふと言った。
「空賊になってしまったらきっと父さん達が悲しむ……。空賊はやめて、反戦活動船ってことにしよう」
リクは我ながらいい考えだとうなずいた。やっていることに賛同はできても、呼び名は気に入らない。
「肩書きはなんでもいいんだけどね。でも、あの船はもう空賊船ってことで知られちまってるから、今更無理だろう?」
「大丈夫。オレにまかせて」
リクはにっこりと、久しぶりの笑顔を見せた。