翌日、ウィルは昼近くまで寝ていた。目覚めて、重い頭を振りながら窓辺に寄り、カーテンを開けたときに太陽の位置があまりにも高かったので驚いた。
昨晩も、屋敷についてからふらつく足でようやく部屋にたどりつき、あまりの眠さにそのままベッドにもぐりこんだ。そうしないと倒れてしまいそうだったのだ。
くしゃみがでないのは良いが、睡眠薬並みの眠気が襲う薬は危なくて使えない、とウィルは残念に思った。
部屋から日当たりの良い居間に降りていくと、バートがにこやかにお茶を持ってきた。
「ウィリアム様にはめずらしく遅いお目覚めですね。もうすぐランチのご用意ができますので、もうしばらくお待ちくださいませ」
「ああ、ありがとう」
バートはポットからお茶を注ぎながら言った。
「昨夜は大活躍だったとか。お嬢様から伺いましたが、近衛兵が来たということは、陛下も舞踏会にいらしたのですか」
「……ああ、お忍びでね。皆は知らないだろう」
昨日の王のたわごとを思い出して、面倒な気持ちになった。
「ウィリアム様は陛下にお会いになりましたか」
「会ったよ。まだまだ頼りない奴だったがな」
しかし、昨日の大捕り物は最終的に多くの貴族が目撃するところとなった。近衛兵が動いたということは、王の指示を意味する。罪を犯すものは、大貴族であろうと容赦はしないという王の意志や覚悟を皆に見せつけることとなった。今回の大処分は、王を軽んじている貴族たちも大いに引締められるだろう。その緊張感や風潮はきっと庶民へも伝わっていく。
盗賊たちは特に耳が早いので、ボートランドの失態は隅々にまで広がるに違いない。当の本人は、きっと今頃ねぐらを引き払って、しばらく雲隠れするだろうから、その噂はとどまることを知らない。そうなると、盗賊たちも警戒を強めて、しばらくおとなしくしているだろう。
なんだかんだで、この国も落ち着いていくのかもしれない。あの王の成長とともに。
「そうですか。陛下にお会いになりましたか。それは良かった。さぞお喜びになっていたことでしょう」
「……」
なんだ、この、何かを知っていそうな含みのある言い方は。
ウィルは用心した。
グレンの過去はボートランド以外誰も知らないと思っていたが、ルーカスに仕えていたバートが知っていてもおかしくはないと思い当たった。
バートは自分からは言う気はないようだ。ウィルは、昨日の王の話を確認しようかと一瞬考えたが、思いとどまった。
……いや、聞くのはよそう。あえて考える必要はない。複雑な状況に陥るだけだ。きっと、あののんびり王の寝言か何かだろう。
「ローズは?」
ふいにローズの顔を見たくなり聞くと、バートはうれしそうに答えた。
「中庭でございます」
「じゃあ、ランチまで時間をつぶしてくるよ」
そう言って席を立ってドアを開けようとし、ふと思いついて振り返った。
「そうだ、懐中時計は、やっぱりここに置かせてもらうことにするよ。必要になったときには頼む」
そう言って、ウィルはポケットから懐中時計を取り出してバートに渡した。
もし、王の話が本当だとしたら、グレンはウィルの伯父ということになる。血のつががりがある。そう考えると素直にうれしいと感じた。それならばルーカスがウィルに時計を渡そうとしていたのも納得できるが、王の話を信じたわけではない。
「かしこまりました」
バートは、うやうやしく懐中時計を受け取ってくれた。
中庭に出ると、寝起きにはきつい日差しが照りつけた。あずまやに避難すると、庭仕事をしていたローズがウィルに気づき、飛んで来てくれた。
「ウィル、ごめんなさい。あのお薬であんなに眠気が強く出るなんて。今度はもう少し抑えられるように研究するから」
「ああ、頼むな」
ローズは、昨夜とは対照的な元の姿にすっかり戻っていた。ひっつめた髪に伊達眼鏡、エプロンはまだメイドのものだ。それでも、ローズは昔から変わらないローズだと思えた。
「そう、ウィル。こんなものが来たの。どうしたらいいのかな」
エプロンのポケットから取り出したのは、刺しゅう入りのおごそかな封筒だった。中を見ると、王の名前での、晩餐会への招待状が入っていた。
さすがクローディア。仕事が早い。
「王の名入りなら、行かない訳にはいかないだろう。行ってくるといい」
ウィルが複雑な気持ちを隠してさりげなく言うと、ローズは首を横に振った。
「ウィルの名前もあるのよ。私たち二人への招待状なの」
「何?」
王のにやけた顔が浮かんだ。会ったとたんにあの、こちらが了承していない呼び方をされてはたまらない。
「いや、オレは行けないよ。ここでの仕事も終わったから、明日にでも発とうと思う」
そう言った途端、ローズがギュッと下唇をかんだ。ウィルも今では明らかに別れがたい想いを抱いていた。しかし、置いてきた仕事の依頼を放っておくわけにもいかない。
「またすぐ会いにくるよ」
ローズを見ていたらそんなことをつい口走っていたが、ローズは上目使いで「ほんとうに?」と怪しんでいる。前科があるから当然だろう。
「ああ、本当だ。今度は本当にすぐ会いにくる」
きっと離れても、すぐ会いたくてたまらなくなるような気がした。
「……わかった。待っているからね」
ようやくとびきりの笑顔を見せてくれた。
「そう、それから……」
ローズはもう片方のポケットから、もう一通の手紙を取り出した。
「これはウィル宛てに届いた手紙よ」
渡された手紙はトーマスからのものだった。何事かと思い急いで内容を確かめて、ウィルは目を丸くした。
「どうしたの?」
ローズが心配そうな顔をする。
「いや、そうだな……。ローズ、午後は空いているか?」
ウィルの弾んだ声に、ローズは心を躍らせてうなずいた。
トーマスの酒場は、さすがに休業の札が出ていた。ケビンに御者を頼み、ローズとウィルはアレスの町に来たのだ。ケビンも連れて三人で、酒場の2階にあるトーマスの家を訪ねた。
「ウィル!よく来てくれたな!」
いつも以上にテンションを高くしたトーマスがウィルに抱きつき出迎えた。それから笑顔のローズに手を差し出し握手を交わす。
「これはこれはお嬢様!遠いところわざわざお越しいただき、光栄です。狭苦しいところですが、どうぞお入りください!」
そして、視線を下げケビンを見る。一瞬「?」の顔をしたので、ウィルが説明した。
「ダンじいさんの孫のケビンだ」
ケビンがパっと顔を輝かせた。
「兄ちゃんもじいちゃんのこと知ってるのか?」
「おう!知ってるも何も、オレらすごく世話になったんだぞ!そうか、あのダンじいさんのなあ。オレはトーマスだ。よろしくな」
「トーマスの兄貴!よろしく」
二人はがっちりと握手を交わした。
これで、ウィルがいなくなっても、ケビンは大丈夫だろう。ウィルは一安心した。
「いやあ、みんな、本当によく来てくれた!さあ、遠慮しないで入れ入れ!」
ぞろぞろと、狭いながらも温かみのある家に入って行くと、奥の寝室から元気な赤ん坊の泣き声が聞こえた。
「どうだ、威勢がいいだろう」
トーマスは皆を寝室へと招きいれた。そこには、ベッドに体を起こして座る、やわらかな笑顔を浮かべたクレアと、その腕の中に抱かれた、生まれて間もない赤ん坊がいた。
「まあ!」
ローズが駆け寄り両手で口を押さえた。
「なんてかわいらしい!女の子ですか」
「あら、やっぱり女の人にはわかるのね、この元気な声は男の子みたいなんだけど、正真正銘、女の子よ」
クレアは赤ん坊の顔をローズに向けた。
「あ、ごめんなさい、私ったら、いきなり失礼ですよね」
そんなことは気にしないトーマス夫婦だったが、ウィルがクレアに、ローズとケビンを紹介した。
「そう。来てくれてとてもうれしいわ。この子を見てあげてちょうだい。とってもいい子でしょう」
二人は生まれたての赤ん坊を見るのは初めてで、どぎまぎしながら、しきりに見入っていた。
「小っちゃいなあ。それにかわいいなあ」
ケビンは少し照れくさそうにしている。
「なんだかうらやましい。私もはやく子供が欲しくなりました」
ローズは、うっとりと二人を見ている。いつか、ローズも良い相手とめぐりあい、こんな日を迎えるのだろう。その相手については、今はあまり考えたくはないが、とウィルは思った。
「おめでとう、トーマス」
ウィルが友の功績に感服して言うと、トーマスは気恥ずかしそうな顔をしてから、「おう」と言い、うれしそうににっか、と白い歯を出して笑った。
皆でクレアと赤ん坊を囲んで温かなひとときを過ごした。愛の結晶である子供というものは、その存在だけで人々を幸せにする。
ウィルはそんな中で、先の女王に思いをはせていた。王の言ったことが本当なら、こうやってウィルを抱いてくれたのは、アンジェラ女王ということになる。王は言っていた。女王は短い間だったが、赤ん坊を慈しみ愛した、と。
なんの記憶もない両親のことが気にならなかったといえば、嘘になる。しかし、ウィルにはグレンがいたし、育った環境が環境だけに、それほど執着はしていなかった。それでも、自分にも、今のクレアのように優しく暖かく包みこみ無償の愛を注いでくれた存在がいたのかもしれない、と思うと、胸にぐっとくるものがあった。
今度グランディスに帰ってきたら、もう一度王の話を聞いてやってもいいかな。
ウィルはようやく、そんな気持ちになることができた。