仮面舞踏会といっても今回はソフトなもので、主催者から配られた目の部分だけを隠すマスクをつけて舞踏会を楽しむというものだ。そのマスクは色とりどりで華やかさを添えるが、強制ではなく、老夫人などは好まないようで、つけないことが多い。しかし、若い貴族たちには評判で、知り合いであればマスクがあっても相手を識別できるお遊び的要素が大きいのだが、普段はできない思いきり派手な衣装を着たり、いつもは踊れない相手にも気兼ねなく申し込むことができたりする。仮面舞踏会は最近はやりの舞踏会スタイルであった。
デリンジャー家の舞踏会が開かれる大広間の入り口でマスクが配られ、ウィルとローズは顔を見合わせてから、それを身に着けた。
「なんだか、おもしろい催し。お花畑みたい」
豪奢できらびやかな広間には、さまざまな彩りのマスクをつけた華やかな人々が集っていた。さすがのローズもこの様子には胸が躍るらしい。
飲み物を取りにウィルがローズの側を離れたとき、客たちが広間に入りきったらしく、主催者であるデンリンジャー家の主が、壇上に上がった。
「本日は皆さまお集まりいただき、誠にありがとうございます」
あいつか。
ウィルは鋭い視線を向けた。ふっくらとした体型に広くなった額で、愛想よく笑顔を振りまいている。その様子からは、レギナスの職人を「殺せ」と叫ぶような人柄にはまるで見えない。しかし、本当の悪人はみかけではわからないものだ。
「今宵は仮面舞踏会。どうぞごゆっくりとこの交歓のひとときをお楽しみください」
大きな拍手が巻き起こり、それに手をあげて答えたデリンジャーは、拍手がおさまるのを待って、マスクを大きく掲げた。そしてゆっくりと身に着けるとそれが合図であったようで、楽団が流麗な音楽を奏で始めた。
それに合わせて、着飾った人々が中央へと歩み出てペアとなり踊りだす。くるくると回る夫人や令嬢のドレスが美しく花開いた。
それらをちらりと見てから、ウィルは視線を戻した。客の間に入ったデリンジャーは向かい合う人すべてに丁寧に挨拶をしている。しかし、よく観察していると、何人かの男性客に対して、わずかに歪んだ笑みを見せていた。
彼らが今夜の本当の『客』なのだ。おそらく屋敷の奥で今宵ひそかに開かれる王冠のお披露目会の出席者に違いない。ウィルは目立たぬようデリンジャーを目で追い、それらすべての客を覚えていった。その数は五人だ。
しばらくすると、広間中央で踊る人々が数を増し盛り上がりを見せていくうちに、デリンジャーはさりげなく奥へと引っ込んでいった。客たちはまだ動く気配が無い。
ウィルはひとまず飲み物を取って、ローズのもとへと戻ろうとしたが、ローズのいるはずの場所に人だかりができていて、その姿がよく見えない。近づいていくとそこに集まっているのは貴族の令息たちであることがわかった。そして、その人々に囲まれて、なぜか仮面を外した困り顔のローズの姿がかいま見えた。
「ロゼッティーヌ嬢、あなたに再びお会いする日を夢みておりました」
「今宵はぜひ私と踊ってください」
「いや、私が先だ」
ローズが選んだ赤色のマスクを握っている令息の一人が言った。
「このようなマスクでその美しさを隠すのは罪です。以前いらした舞踏会から私はあなたのことが忘れられず、夜も眠れませんでした」
その割には顔の色つやがいい。入り口ででもローズを見たのだろう。もしかしたら、無理矢理マスクを奪ったのかもしれない。マナーを知らない奴だ。
以前、中庭でローズに、どうして伊達眼鏡をしているのか聞いたことがあった。「騒がしいから」という答えの意味を今ようやく理解した。
「やれやれ、確かに騒がしい」
ウィルは令息たちの間に無理矢理割って入ると、ローズの手をつかんだ。驚くローズに有無を言わさず、令息の群れから引っ張り出すと、ウィルもマスクを外してローズを見つめた。
「一人にして悪かったな」
そう言ってから、あっけにとられる令息たちを置き去りにし、ローズを広間の中央へといざなった。ローズは、ウィルが助けてくれたことや手を握ってくれていることなどがうれしくて、ほんのりと頬を赤く染めながら、ウィルに従った。
新しい音楽が始まる。向かい合った二人はウィルの巧みなリードで軽やかに踊りだした。華やかで美しい二人に、人々の視線が集まり始める。
「あら、ガードナー家の御令嬢よね。本当に噂にたがわずお美しいわ」
「お相手の方はどなたかしら?あんな素敵な殿方がいらっしゃったなんて」
「いったいどちらの御子息?それにしてもお二人はなんて美しくてお似合いなのかしら。ダンスの息もぴったり」
噂好きの夫人たちがささやきあう。
ローズは、さすがにガードナー家の令嬢だけあり、舞踏会に出ていなくてもダンスは仕込まれているようだ。照れながらも微笑むローズにウィルは仕事を忘れそうになっていた。
「こうやって踊るのは初めてだな」
照れ隠しにウィルが言うと、ローズは首を振った。
「小さい頃、私がダンスを習いたてのときに、ウィルがよく練習台になってくれたでしょ。お父様の前で踊ってみせたの、忘れてしまったのね」
ローズは少し恨めしそうな顔をしてから笑った。
そういえばそんなことがあったような気もする。そうだ、背が釣り合わず、ウィルは腰を曲げてなんとかローズと組み合うことができた。それほど、ローズは小さな少女だったのだ。
改めて、ローズを見た。こんなに美しく大人びた女性にいつのまに成長したのかと思うと、会わなかった8年を、なんだかとても惜しく感じた。
ウィルがずっと見つめているので、ローズは恥ずかしさのあまり目を逸らしてしまった。それでも、ローズはこのままずっとウィルと踊っていたいと思った。このまま時が止まっていつまでもいつまでも曲が終わらないといい。
ウィルもすっかりローズのとりこになっていた。恥ずかしそうにうつむいたり、少しムキになって睨んできたり、コロコロと表情を変えて、見ていて飽きない。
しかし、慌てて我に返った。
オレは何をやっているんだ。女にうつつを抜かしている場合ではない。
ウィルは気を引き締め、踊りながらあたりを観察した。例の客のうち二人は既に姿を消している。うち一人が今、席を立ち広間の隅のドアの奥に消えた。しかし、まだ二人はゆったりとしているため、始まるのはまだ先だろう。
ふとウィルは、舞踏会の客たちの中の、ある二人に目が止まった。
栗色の髪の女性の、その瞳の鋭さは黄色のマスクを通しても伝わってくる。そして隣にいる若い男性は、背はそれほど高くはなく、いくらかぽっちゃりとしていて、見覚えのあるにこやかな口元で、緑のマスクごしにウィルとローズを見つめていた。
まさか、と思い、ウィルは目を疑った。
そのとき、別の方角からの声が耳に入った。
「ご婚礼の日も近いのかもしれないわね。これでガードナー家も安泰ね」
ほーっと溜息をつきながらうっとりと二人を見ていた夫人たちがそんな会話をし始めた。
しまった。そんな噂が立ってしまったら、ローズは行かず後家になってしまう。
ウィルは自分の失態を後悔した。もともとこんなことをするつもりは無かったが、ローズに変な虫が付くのは気に入らない、という思いが先行してしまったのだ。
ウィルも、あでやかに舞うローズとこのまま踊っていたかったが、未練をのこしつつも断念した。曲の終わりとともに、物足りなそうな顔をするローズを連れて、広間の端に戻った。それから新しいマスクをもらってきてローズに渡し、自分も身に着けた。
「もっとずっとウィルと踊っていたかった」少しだけわがままを言ってからローズは首を振った。
「でも大丈夫。ウィルにはお仕事があるのですもの。私のことは気にしないで」
無理に笑顔をつくるいじらしいローズに悪いと思いながら、ウィルはローズの頭に手を乗せた。
「ごめんな。だが気が向いたら、良さそうなヤツと踊ってやれ」
ローズは少し寂しげに微笑み、うなずいた。それを見届けてから、ウィルはその場を離れ、残りの『客』を探した。
最後の一人となっていた客がちょうど奥のドアから出ていくところだった。ウィルはすばやく人の波をぬい、後をついて広間を出た。