ガードナー家に戻り、久しぶりにローズと夕食を共にした。新しい使用人も数人入ったということで、バートは自ら、食事を共にすることをやめてしまったので、広いテーブルであるとはいえ、二人で向かいあう形だ。
「ウィル、最近帰りが遅いみたいだけど……あまり無理しないでね」
「ああ、ありがとう。心配かけてすまないな」
ローズはすっかり態度を軟化させ、ウィルに対してしおらしいことを言う。
しかし、自分がいないとローズは一人の食卓になるのかと思い当たった。ウィルは、ここにいる間くらいはローズとなるべく食事を共にしようと思った。
「そうだ、バート。デリンジャー家の舞踏会の招待状が来ていると思うんだが」
ウィルは、脇に控えていたバートに言った。ガードナー家ともなれば、都で催される大きな舞踏会には必ず招待される。ローズが欠かさず出席しているとは思えないが。
「ええ、来ておりました。今回はおもしろい趣向のようで、仮面舞踏会ということでございます。ですので、お嬢様に是非ご参加してみるよう助言いたしたのですが」
「ほう、仮面舞踏会か」
「舞踏会は嫌いよ。あんなうわべだけの騒がしい世界には入りたくありません」
ローズは口をとがらせた。
若い娘は社交界などのきらびやかな世界が好きなものと思っていたが、確かにふだんの地味なローズとはかけ離れた場だ。さすがに、仕事として割り切っていたルーカスの娘である。
「オレがエスコートしてやるよ。一緒に行かないか」
「え?」
ローズはとたんに顔を赤らめた。
「それは素晴らしい。ぜひともそうなさいませ」
バートは目を輝かせている。ローズは赤い顔でもじもじしていたが、上目使いでゆっくりと顔をあげた。
「……ウィルが一緒なら、行ってもいい、かな」
「本当でございますか!」
バートの喜びようは尋常ではなかった。舞踏会から遠のいている若い主をよほど心配していたらしい。
「では早速ドレスの新調をいたしましょう!いや、しかし日数がわずかしかございません」
めずらしく慌てふためくバートに、ローズがくすくす笑いながら言った。
「私、お母様のドレスでとても気に入っているものがあるの。それを少しだけ今風に手直しすれば十分着られると思う。それならわずかな時間で大丈夫よね」
「なるほど。かしこまりました。さっそく明日の朝一番に手配をいたしましょう」
ウィルは思いのほか歓迎された申し出に、少し後ろめたい気持ちになったが、バートも喜んでいることだし、まあいいか、とすぐに思い直した。
当日、ウィルはルーカスのタキシードを借りた。少し手直ししただけで、着ることができた。そこへバートが呼びにきた。
「お嬢様の支度が整いましたので、お越しいただけますか」
「ああ、わかった」
バートはウィルを見て目を細めた。
「さすがはウィリアム様。ほれぼれいたします。ルーカス様もお喜びでしょう。何より、お嬢様を舞踏会に連れ出していただけるのですから。正式な社交界デビューの宴も、お嬢様があのようですから、催しておりませんが、ルーカス様とともに一度だけ場慣らしということで舞踏会に出席されたことがあるのです。それ以来毛嫌いをされておりましたので。本当に感謝いたします」
「ああ、そのことなんだが」
ウィルが言いかけると、バートはうなずいた。
「わかっております。今回はウィリアム様のお仕事に関係があるのですね。ですが、私はあなた様を信頼申し上げておりますので、心配はしておりません。どうかお嬢様のことを、よろしくお願いいたします」
「わかった」
ウィルは苦笑して了解した。
それからバートとともに、ローズのいる部屋に行った。
「ウィリアム様がお見えです」
ドア越しにバートが言うと、部屋の中から、先日入ったという年配の人のよさそうなメイドが出てきた。
「お嬢様がこんなにお美しい方だったとは、私見抜けませんでしたわ」
目を見張って、それでもうれしそうに「どうぞお入りくださいませ」とドアを大きく開けた。
鏡の前でこちらに背を向けていたローズが恥ずかしそうに振り返った。
ウィルは一瞬、息を呑んだ。
クラシカルだがそれが逆に斬新に見えるデザインの、淡いオレンジのドレスを身にまとったローズは、まばゆいばかりの美しさと輝きを放っていた。16歳とは思えない、その大人びた麗しさは、ウィルの目を惹き離さなかった。
「これは……思った以上だな」
ウィルが思わずつぶやくと、そばにいたバートが胸を張って「はい」と得意げに微笑んだ。
「お父様の服、とても似合ってる」
はにかんだローズに先に言われてしまい、ウィルは慌てて返した。
「いや、ローズこそ。なんというか、すごく似合っている」
いつもなら軽く言える気の利いた言葉が何も出てこないほど、ウィルは衝撃を受けてしばらく見とれていた。
「では馬車の用意をいたしますので、もう少々お待ちくださいませ」
バートとメイドは顔を見合わせて部屋を出ていった。
二人きりになって、ローズが恥らいながらも卓上のトレーにのった紙包みを指した。
「昔からウィルは猫が苦手だったでしょう?これはアレルギーに効く薬。私が庭の薬草を吟味して調合したの。デリンジャー家には猫がたくさんいると聞いたことがあるから」
「……よく覚えていたな。しかし薬があるのか」
ローズは昔のことをよく覚えていると感心しながらも、少し気恥ずかしい気がした。
「根本的に治すことはまだできないけど、この薬で一時的に抑えることはできるの」
疑わしい目で薬の入った紙包みを見ていると、ローズは続けた。
「ただ人によっては少しだけ眠気が強くなるかもしれない。馬車の操縦はしないほうがいいと思う」
「薬は昔から苦手なんだよな」
「だけど、お仕事に差し支えるでしょう」
「え?」
ウィルは驚いた。どうやら、仕事が関わっているとローズもわかっていたらしい。
「私、お父様と同じようにウィルを手助けしたいの。役に立つのなら舞踏会だってなんだって行く」
ひたむきに言うローズに根負けし、ウィルは薬をつかんだ。紙を開くと、白い粉上の薬が姿を現す。ウィルは覚悟を決め、一気に薬を飲んで水で流し込んだ。
顔をしかめながら「うわ、やっぱり苦い」というと、ローズはくすくすと笑った。そのまぶしすぎる笑顔を見て、今日は仮面の舞踏会で本当に良かった、とウィルは思った。