My Robber Prince ~猫と恋泥棒~ 第1章

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手の中の懐中時計が心地よく時を刻む。

ローズは父の指定席だった革張りの大きな椅子に座り微笑んだ。

いたずら好きの父が、からくりを凝らして作った逸品。どんなにせがんでも、これだけはくれなかった。

「ごめんよ、ローズ。これはウィルのものだからね」

父の死後、寂しくなるとこの時計を手に取る。まるで、父とウィルがそばにいてくれる、そんな気がするから。

 

 

馬の蹄が、石畳の道を蹴り始めてからも、乗り合い馬車の中にいる人々は身を固くして、怯えた目をその小さな窓に向けていた。

薄く霧が立ち込め、今にも降り出しそうな重苦しい空は、まだ昼間だというのに、霧とともに、あたりを薄暗くしている。

前方の小窓から、御者が振り返り言った。

「お客さん方、都の大門が見えてきやした。ここまで来たらもう安心ですぜ」

その言葉とともに、客たちは大きく息を吐き、互いの無事を喜ぶように、乗り合わせた人々と笑顔を交わした。

その様子をいぶかしげに見ていたウィルは、小窓から背中越しに御者に訪ねた。

「なあ、オレはこの国が久しぶりなんだが、このあたりの治安はそんなに悪かったかな」

以前は確かに、ここグランディス大国は荒れていた。愚かな王が他国に無益な戦争をしかけ、そのためのひずみが各所に起こっていたのだ。兵役、重税、それらの軋轢はすべて庶民がこうむることとなり、国は混乱の極みであった。その王は、人々の恐怖心によって破壊王と呼ばれていた。

しかし、13年前にその破壊王が崩御し、のちに即位した女王がみごとにこの国を変えたはずだ。戦争はすべてやめ、新たな国民のための法を定め、貧しい地方の農村にまで気を配ったのだから。

御者は人の良さそうな笑顔で振り向いた。

「そうですかい、道理で旦那はお若いのに堂々としていらっしゃると思った」

それから、一度前を向き、肩をすくませてまた振り向くと小声で答えた。

「アンジェラ女王のときはそりゃあ良かった。あんな偉大な方はそうはいない。昨年、急なご病気で亡くなられて皆涙を流したものさ。で、次に即位されたアルバート国王なんですがね、アンジェラ女王の息子なんだが、これがかなり若くて頼りないときてる。みんな不安になってるんでさ。また昔のようになりはしないかとね。あの暗黒の破壊王の時代は旦那もご存じでしょう。そのせいかどうか、最近は盗人(ぬすっと)連中が幅をきかせてましてね。こんな日の街道沿いは追いはぎやら強盗やらが頻繁にでるんでさぁ」

それから、空とは対照的な、晴れ晴れとした笑顔で言った。

「今日は運が良かった!」

「……なるほどな」

ウィルはうなずき、横の窓の、外の景色に目をやった。

来る途中、知った顔が街道沿いの木の陰にひそんでいたのはそのせいかと思った。ウィルを見て、バツが悪そうに顔をそらし若い連中を抑えていたが、そうでなければこの馬車はやつらに襲われていたというわけだ。

それにしても……。

ウィルは、その整った顔立ちの眉間にしわを寄せた。

乗り合い馬車の庶民にまで手を出すようになるとは。

女王が崩御されて、若い皇太子がその座についたという話は他国にいても聞こえていた。王の資質を見定められず人心に不安が広がるとき、国は乱れる。多くの国を巡る中で、そういった状況をいくつも見聞きしていた。

早急に引き締めにかからないと、悪党ばかりがのさばる乱れた国となるだろう。

しかし。

ウィルはフッと息を吐いた。

……まあ、オレにはどうでもいいことだけどな。

大門をくぐった馬車の外には、壮麗な都の景色が広がる。乗り合わせた客たちはそのきらびやかさを見上げ歓声をあげた。しかしウィルは、それとは逆に視線を低い位置に定め、あいかわらずの様相に小さく舌打ちをした。

生まれ故郷とはいえ、やはりこの国はオレには合わない。

御者の緊張から解き放たれた馬たちの足取りは、大通りの石畳を打ち鳴らす音からも、心なしか軽やかに聞こえる。それと同時に、馬車の中も、都の華やかさに感化された人々が浮き足立つ様子で窓の外を食い入るように眺めていた。

都の入り口近くにある広場の隅が、その乗り合い馬車の終点だった。多くの客と同じようにウィルは馬車を降りた。客たちは重そうな荷物を抱えて方々に散らばっていく。彼ら庶民が、この貴族の豪奢な建物がひしめき合う華やかな都に来る目的は二つだけだ。行商もしくは貴族のお屋敷への奉公である。

しかし、ウィルはそのどちらでもなかった。その身なりは、見るものが見ればわかる他国の上等な生地でしつらえたものばかりだ。とはいえ、この国の貴族たちのように、その価値を誇りあうための華美さはないため、悪目立ちすることもない。

ウィルは大きく息を吸って、漆黒の髪の間から覗く鋭い瞳であたりを見回した。

薄霧の中、早くもガス灯が灯され、街並みをぼんやりと浮き上がらせている。通りに沿って均等に配置された街路樹とともに立ち並んだ、石や煉瓦作りの歴史ある建物は、それぞれが貴族たちの都用の住居で、重厚なたたずまいを見せていた。

それらを仰ぎみていると、足元にふわりとした感触を覚えた。

「きたな」

下を見て確認することはせず、ウィルは歩きだした。

以前、少しばかり足に力をいれてそれを追い払おうとしたとたん、まわりにいた人々に白い目で睨まれたことがある。

にゃーと鳴く声を背にし、しばらく進んでから、ウィルは大きくくしゃみをした。

「王が変わっても、この国は相変わらずか……」

どっちを向いても、ふわふわの毛を持ち、にゃあと鳴くこの猫たちが堂々と街中を闊歩している。呼びもしないのに、足元にまとわりついてくるこの人懐こさが憎らしい。

元はといえば、アンジェラ女王が大変な猫好きだったところから始まる。行幸も王室の行事も常に猫と一緒だったという。書かせた肖像画も猫を抱いていると言う話だ。

政治手腕の優れた女王であり、国を安定させた功績もあるため、貴族からの信頼も厚く、その結果、我先にと貴族の間でも猫を飼うことがはやり始めた。

頭数が増え、安価になってくるとあっというまに庶民へと広がり、必然的に街中にもいわゆる野良猫が増え始めた。

しかし、特に定めがないにもかかわらず、女王にならい、国民たちは、野良でさえも猫たちを大切に扱った。

結果、この国は猫天国となっている。

ウィルは、その端正な顔を歪ませて再びくしゃみをし、「まったく……」と不機嫌につぶやいた。

 

 

我が物顔で歩く猫をさけつつ、ウィルは大通りを歩いていった。中央は、馬車がひっきりなしに走っている。確か今は舞踏会のシーズンだから、多くの貴族が領地から都に来ているのだろう。

馬車の中には着飾った婦人やすました紳士が垣間見えた。普段は暇な領地生活のうさを、貴族たちはこの時期に発散するのだ。

とはいえ、ウィルが少年の頃とても世話になった貴族は、そういう行事をとても億劫がっていた。「これも仕事のひとつ」と嫌々ながらも出かけていく姿が思い出され、ウィルはふっと苦笑した。貴族らしからぬ今は亡きその恩人は、ユーモアといたずら心を持った少年のような人で、とても多くのことをウィルに教えてくれた。感謝してもしきれない。

すれ違う馬車の中に派手な羽根付き帽子をかぶった若い貴族の娘が目に入り、ふとその恩人の娘を思い出した。

ウィルが15歳で屋敷を出る頃には8歳ほどだった。あれから8年たっている。やわらかいくるくるした金髪の、目が大きいとても愛らしい娘だった。

「きっとかなりの美人になっているだろうな……」

そのとき既に亡くなっていた肖像画の中の美しい母親の面影を持つ子だった。

それからも数回、恩人に会いにこの国に戻っていたが、その娘は領地の屋敷にいたり、都にいたり、または寄宿学校に入ったあとだったりですれ違い、あのとき以来会っていない。

若すぎて守備範囲外だが、年齢からいってまだ寄宿学校にいるであろうその娘に、今回も会えないのは残念な気がした。

遠くから教会の鐘の音が聞こえてきた。どうやら時間通りのようだ。

そこから少し行くと見慣れた屋敷が見えてくる。しかし、今回は様子が違った。

立ち並んだ他の貴族の屋敷は主人の在宅に活気を放っているが、通い慣れたその屋敷だけは、壁一面に並ぶ窓はすべて雨戸が閉められ、荘厳な屋敷であるにもかかわらず窓枠にかけられたプランターの植物も枯れたまま放置されている。

鮮やかな花の色で彩られた他の屋敷とは違い、明らかに暗い雰囲気をかもし出していた。

ウィルの恩人である主人が亡くなったとはいえ、貴族の屋敷というものは主人の不在時にも、多くの使用人がその貴族の顔ともいえる都の屋敷を維持することに力を入れるはずだ。

「……だから、オレを呼んだのか?」

ウィルは大きな屋敷を見上げ、いぶかりながらも気を取り直し、ドアの呼び鈴を鳴らした。

すぐさま、ドアの錠を外す音がする。

そして懐かしい顔が現れた。

「ウィルリアム様!」

すっかり白髪に覆われてしまったが、いつものように背筋をピンと張って、のりのきいた白シャツと黒服を来た執事は、その穏やかな表情を気弱に崩した。

「お待ち申し上げておりました。この度は呼びつけるなどという無理を申し上げ、誠に申し訳ございません」

「バート、堅苦しい挨拶はいいよ。それにしても……大丈夫か?ガードナー家は」

ウィルは入り口から中をのぞき見て言った。華やかだった屋敷内は暗く、使用人の姿も見えない。調度品には白い布がかけられ、床にはうっすらとほこりが溜まっているのが、開かれたドアから入る街灯の光で浮かびあがった。

バートと呼ばれた執事は恐縮した。

「お見苦しいところを……。詳しい話は後ほど。日が落ちる前に領地のお屋敷に戻らなければなりません」

「お、向こうの屋敷にいくのか。ひさしぶりだな」

「今、馬車を回しますので、少々お待ちくださいませ」

そう言ってバートは礼儀正しくお辞儀をすると、足早に出て行った。

ガードナー家は貴族の中でも格が高く、その領地も都に程近い場所にあった。大昔は他の貴族のようにそれを農地として管理していたが、都に近いその場所は人気があるため、今では農地をやめ、すべて借地としている。そして、農地だった頃よりはるかにわずかな仕事量で、数十倍の収入をその賃貸料だけで得るようになった。

そのため、ウィルの恩人であるガードナー家の主人は、好きな学問に力を入れることができ、建築学の教授の地位を得るまでになったのだ。

屋敷の前に馬車が止まったため、ウィルは振り返った。

なんと御者席にはバートがいて、手綱を置くといそいそと降りてくる。通常執事は屋敷の使用人の中でも上位にいる。馬車を駆ることなどない。

御者もいないほど、ガードナー家は落ちぶれてしまったのだろうか。

ウィルは、屋敷と馬車を交互に見ながら、うーんとうなってしまった。

 

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