イコールライツ 第8章

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第8章 リュカ―5

 

リュカとサラは探偵の真似事を無事終え、家に辿り着いた。サラが別れ際、最後まで二人に気付かなかったロイについて溜息とともに言った。

「だから出世しないのね」

怒りを通り越して、先行きのことを心配していた。

リュカが家に戻ると、ミカは買い物にでも行っているようで留守だった。リビングに入ると、正面のキャビネットの上に置かれたたくさんの写真立ての中の家族写真が目に入る。いつもは気にかけないのだが、今日見聞きしたことを思い出すと、リュカの知らない両親の苦しみを想像してしまい、無意識にそこに近づいた。

両親とともにリュカの小さい頃からの写真が、所狭しと置かれている。

「並べ過ぎだよ」

リュカはおかしくなって笑った。

両親はどれもみな明るい笑顔だ。この笑顔の奥に何か深い悲しみが隠れているのだとしたら、それを知らずにいた自分が恥ずかしいし、許せない。

写真を一つ一つ見ていると、その中におなかの大きな妊婦のミカの写真が1枚あった。

「僕はここから出てきたんだよなあ」

不思議な感覚でそれを見ていると、写真立ての淵に半分埋もれた日付に気が付いた。

「あれ?」

リュカは目を疑った。後ろの留め金を外して、写真立てから写真を取り外し、日付を凝視する。そして、指を折って計算した。

「これ、僕の生まれる4年前だ……」

赤ん坊が母親のおなかにいるのは多くても10か月だと聞いている。ということは、このときこのおなかの中にいたのは自分ではない。

リュカは、ロイと最後に話していた夫婦のことを思い出していた。

赤ん坊の手がかりを切実に求めていた妻。子供の帰りを信じて待つと言った夫。

ロイが言っていた被害者の共通点と一致する、自分の両親の話。

そして4年前、妊娠していた母親。

ふと、リュカは小さいときのことを思い出した。

友達に優しい兄を持つ子がいた。いつも弟を助け面倒を見て、一緒に遊んでくれる。リュカはとてもうらやましく、思い切って母親に言った。

「ママ、僕お兄ちゃんが欲しい!」

それを聞いた母親はうれしそうな、でもどこか悲しそうな、複雑な顔をしていた。そのころからいっぱしの口をきいていたサラが側で「まったく」と言って腕組みをした。

「おばかね。お兄ちゃんはあとからできないのよ。できるとしたら、弟か妹なんだから」

母親はふふふ、と笑ってからリュカを抱き寄せた。

「そう、リュカはお兄ちゃんが欲しいの」

それから、小さな声で「……ママもよ」と言った。

リュカはそのとき小さかったので、その言葉どおり、そうか、ママもお兄ちゃんが欲しいのか、と思っただけだったが、その本当の意味は、今日見た夫婦と同じように、子供の帰りを心の底から待ち望んでいたのではないだろうか。この写真のおなかの中にいる子を。

そのとき玄関が開く音がした。

「リュカ、帰ってるの?」

母親の声がする。リュカはそっと写真を戻し、写真立てを元の場所に戻すと、ちょうどミカがリビングに現れた。

「今日は朝早くからサラちゃんと博物館に行って疲れたでしょ。ココアでも飲む?」

リュカは振り向いて母親の胸に飛び込んだ。

「あらあら、どうしたの?この子は」

いつもうなされるほど、ずっと苦しんでいた母親。自分は何も知らず、母親に甘えてばかりいた。

「ごめんね、ママ」

ミカは膝をつきリュカを抱きしめ、笑いながら言った。

「なあに?何か悪さでもしたの?」

「ううん」

母親の力になりたい。リュカは強く思った。でも自分に何ができるのか。

写真のおなかの中の子のことを考えた。その子がもし生きているとしたら、きっとこの母親のぬくもりを知らないだろう。いつでもどんなときでも自分を包んでくれる居心地のいい場所。無条件に全力で自分の味方になってくれると信じて疑わない存在がいることへの安心感。それを知らないとしたら、あのおなかの中の子はどれだけ不幸なのだろう。

早く見つけてあげたい。リュカは切実に思った。

 

 

翌日、学校帰りにリュカとサラは中央図書館に行った。

サラが慣れた様子で受付の手続きを済まし、二人は指定された席へと向かった。

「何かの事件に関係しているなら、昨日訪ねた家の名字をいくつか入れて、この電子新聞のアーカイブを検索すればヒットすると思うんだけど、ちょっと情報が膨大すぎて図書館のコンピューターじゃ検索に時間がかかるかもしれない。……ある程度の時期がわかればいいんだけど」

難しい顔で言うサラに、リュカはリビングの写真にあった日付の年を言った。

「なんで?」

サラは怪訝な顔をしていたが、リュカの真剣なまなざしを見て、素直に入力し、検索をかけた。

まもなく結果が表示された。そこにあらわれた記事のタイトルは二人を激しく震撼させた。

『連続妊婦誘拐事件、公開捜査へ』

そこにはたくさんの女性の写真が載せられていた。記事を読むと、行方不明の全員が臨月の妊婦のため、その身を案じ、公開捜査に踏み切ったとある。

「何?この事件。妊婦ばかりを誘拐するなんて、ひどすぎる」

サラが悲壮な顔で言った。

公開された被害者女性の写真を一つ一つ見ていくと、ロイについて行った家で見た人が何人かいた。

「あ、この人。名前が同じね。最後の家の人だわ」

そして、二人は最後の写真に釘づけとなった。

「え……」

サラは絶句してリュカを見た。リュカは青い顔でそれを見つめている。

予想していた通りだった。そこにはミカの写真が載っていたのだ。

「どういうこと、これ……」

サラはそれ以上、調べる事をためらった。一部の女性が無事なのはこの目で見て知っている。しかし、おなかの中にいた子供はどうなったのだろう。今、リュカに兄弟はいないのだ。この女性たちのおなかの中の子供が、その後どうなったのか、怖くてその先を見ることができなかった。

その衝撃を抱えたまま、二人は言葉少なに家路についた。

サラはチラチラとリュカを見ながら、暗い顔で言った。

「ごめん、リュカ。私、悪ふざけがすぎたね」

リュカは首を振った。

「ううん、サラがいなかったら本当のことがわからなかった。僕は何も知らないままぬくぬくと生きていたと思う」

妊婦誘拐。そんなひどい目に母親があっていたのかと思うと、胸が痛くなる。両親が抱えていた苦しみはこのことだったのだ。

「ミカおばさんに聞くの?」

「わからない……」

自分が知るべきなら、父親はとうに話してくれているだろう。問いただすことによって、二人をさらに苦しめることになるなら、知らないふりをしていたほうがいいんだろうか。

でも僕は知ってしまった。知らないふりをして今までのようにお気楽に過ごすなんてもうできない。うなされ続けるママの苦しみを取り除いてあげたい。僕が引き受けて少しでも和らげてあげたい。だけど、一体どうしらたいいんだろう。

リュカは頭を抱えた。

「リュカ……」

サラのいたわりの視線を感じた。

「ありがとう、サラ。もう少し考えてみる」

そう言うリュカの背中を、サラは何も言えずに見送ることしかできなかった。

 

 

それからの数日間、サラはリュカのことが心配でたまらなかった。過酷な真実を知ったことへのショックと、自分の無力さに打ちひしがれているリュカ。自分なら真っ先に聞くが、リュカはきっと両親を気づかって、今でも何も聞けずにいる。

サラまで思い悩んでいると、そんな娘を心配したロイが、サラをソファの隣に呼んだ。

「どうしたんだ?サラ。最近元気ないな。何かあったのか?パパに話してみろ」

サラは顔をあげて、ロイをまっすぐに見た。

「ねえ、パパ。悩みって話すと楽になるもの?」

虚を突かれて、ロイは少し考えた。

「そうだな……。時と場合によるが、おおむね一人で悩むよりは、気持ちが楽になるかもしれない。一緒に考えてくれる味方が増えるのは心強いと思うぞ」

それを聞いて、サラは堰を切ったように叫んだ。

「じゃあ、リュカに話してあげて!今のリュカは見ていられない。話すことでミカおばさんの気持ちが少しでも楽になるなら、リュカはそれだけでうれしいと思うの!」

目に涙をためて娘が必死に訴える内容に、ロイは面食らった。

「おい、サラ。いったいなんのことを言っているんだ」

「私たち知っているの。ミカおばさんが連続妊婦誘拐事件の被害者だって」

ロイは耳を疑った。

「な、んだって……」

「だから、お願い。リュカに本当のことを話してあげて。リュカを、前のリュカに戻して……」

泣きながら抱きついてきた娘に、ロイは戸惑い、思案に暮れた。

 

 

ロイはその夜遅く、リュカの父リックを行きつけのバーに誘った。

「こうして飲むのもひさしぶりだな。たまにはいいもんだ」

カウンターで隣に座るリックは、おいしそうにお酒を飲んでいた。

それを横目で見ながら、浮かない顔でロイは切り出した。

「すまない、リック。オレの失態だ」

そして、リックに向き直り頭を下げた。

「なんだよ、ロイ。何があった?」

リックは目を丸くして友を見た。

「このまえ、被害者たちの家を訪ね歩いた時、オレは後をつけられていたらしい……。まったく。気付かないなんて警官として恥ずかしいよ」

そう言ってロイは片手で額をたたいた。

「おい、待てよ。いったい誰に尾行されたんだ?」

リックが聞くと、ロイはさらに深く頭を下げた。

「サラと……リュカだ」

リックは息をのんだ。

「サラが泣きながら言うんだ。リュカに話してやって欲しいと。今のリュカは見ていられないと」

ロイは顔を上げてリックを見てから、もう一度「すまん」と頭を下げた。

リックはふっと息を吐いた。

「最近、リュカの様子が変だったのは、そういうことか」

それから、頭を下げている友の両肩に手を置いた。

「頭をあげてくれ。オレがリュカに何も言っていないのが悪いんだ。きっとリュカはオレたちの様子から何かを感じていたのかもしれない。まだまだ子供だと思っていたのにな……」

頭を上げたロイにリックは続けた。

「おまえには本当に感謝しているんだ。忙しいのに、休みを返上してまで捜査を続けてくれている。当時、警察で捜査を打ち切ると言われた時にはどんなに絶望したことか。だけど、おまえが動いてくれているだけで、オレたちの希望の糸は断ち切られていない、そう思えるんだ。本当にありがとう、ロイ」

今度はリックのほうが頭を下げた。

「リック……」

ロイは当時を思い出していた。妊婦が連続して誘拐され、気を付けていたにも関わらずミカが行方不明になってしまった。リックは自分をひどく責め、なりふり構わず、家にも戻らず、ロイの制止を振り切って、街を探し続けボロボロになっていった日々。あの友の姿は今思い出しても胸が締め付けられる。

リックは決心してうなずいた。

「わかった。リュカに話そう。リュカは強い男になった。もう小さな子供じゃない。きっと受け止めてくれる」

 

 

学校から帰って、リュカは家の前でサラと別れた。リュカがふいに振り返ると、サラは立ち止まってリュカを見送っていた。気迫のこもった表情でリュカを見て、ガッツポーズをしている。リュカは訳がわからなかったが、両手で握りこぶしを作り、小さく返した。

「ただいま」

家に入ると、めずらしく父親がいた。今日は仕事が早く終わったのかもしれない。以前ならうれしくて父親に飛びつくところだが、今日のリュカは躊躇した。

「おかえり、リュカ。ちょっとこっちに来なさい」

リビングのソファに座っているリックが、リュカを呼んだ。キッチンにいたミカが、戸惑うリュカの背中を押して一緒にリビングに入った。

リュカは父親の前のソファに座り、ミカはリックの隣に座った。いつもと様子の違う両親。それでも、いつもと同じでリュカを見つめる瞳は温かい。

「リュカ。黙っていてごめんな」

「え……」

リュカは緊張した。

「パパとママは、リュカに本当のことを話すと決めたんだ。聞いてくれるか?」

ごくりと唾を飲み込み、決死の表情でうなずく。

「リュカには兄さんがいる。今どこにいるかはわからないが、パパとママはその子が生きていると信じているんだ」

やっぱり本当だったんだ……。

リュカは、真実を父親の口から直接聞き、心臓が激しく脈打っていた。

「ママたちもリュカのお兄ちゃんに会ったことがないの。検診で男の子ってことはわかっていたのよ。大きなおなかのまま誘拐されて、気が付いたら、もう赤ちゃんはいなかった……」

ミカは少し声を震わせ、リックがその手を握った。

「ママがときどきうなされるから、リュカに心配かけちゃってたんだよね。ごめんね、リュカ」

リュカは大きく首を横に振った。

「ううん、ううん。僕……何も知らなくてごめん。何もしてあげられなくてごめん」

そう言うと今までこらえていた涙が、ふいにこぼれた。

「何を言ってるんだ、リュカ。おまえがいてくれて、私たちがどれほど救われていることか」

「そうよ、リュカ。……ママね、その恐い夢を見た後目が覚めて、リュカがいてくれることを考えると、まだまだがんばれるって思えるの。リュカのお兄ちゃんが見つかるまで、がんばるぞって。それに、その夢を見たあとでも、リュカにぎゅってされるだけで、ママとても元気になれるの。本当よ。とても不思議ね。……これからもママのことを抱きしめてくれる?」

ミカはそう言って、涙で目を潤ませながら、笑顔で両手を広げた。

リュカはそれに引き寄せられるように立ち上がると、母親の胸の中に飛び込んだ。

「うん、僕、ママが楽になるなら、いくらでも抱きしめてあげるよ」

リックはそんなリュカの頭を撫でた。

「三人で兄さんが帰ってくるのを待とう。もう私たち家族に秘密は何もなしだ。リュカに話せて気が楽になったよ」

「本当?」

「ああ」

リックは大きくうなずいた。

リュカは、ほんの少しでも両親の苦しみを分けてもらえた気がしてうれしかった。これからもっと強くなって、二人を支えてあげたい、楽にさせてあげたい、リュカは心からそう思った。

「どろぼう!!」

そのとき、窓の外で大きな声がした。リュカは驚き振り向いた。サラの声だ。

三人で窓辺に寄り窓を開けると、サラが通りのほうに向いて憤然としている。

「どうしたの?サラちゃん」

ミカが聞くと、サラは「あ、お騒がせしました。なんでもないの」と取り繕った。

「変なサラ」

リュカが言うと、サラがむっとした表情になった。リックとミカが奥に戻って行ったので、サラはリュカに外に出てくるように手招きした。

言うとおりに出て行くと、サラは腕を組んで、まだ通りのほうを見ている。

「パパについていったときに見たどろぼうがいたの。なんだか、怪しいわ」

「え?」

リュカはあたりをきょろきょろと見回したが、もうその人影は見つけられなかった。そして、ふと思った。

「そういえば、サラ、なんでこんなところにいるの?玄関はあっちだよ」

「わ、わかってるわよ」

焦るサラを見て、リュカはサラが心配して様子を見に来てくれたのだと気が付いた。

「ありがとう、サラ。僕もう大丈夫だよ。強くなるって決めたんだ」

いつも通りのリュカを見て、サラは「ふーん」とだけ言い、少しだけうれしそうな顔をして、足取りも軽く帰って行った。

それを見送ってから、リュカはまた通りの方を見た。博物館で会った人のことが、ひどく気になり始めていた。

 

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