イコールライツ 第1章

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第1章 シス―1

いつからここにいるのか、わずかに残る幼いころの記憶は、どれも不鮮明になりつつある。無邪気でなんの苦しみも抱かず、自分の置かれた状況を何も理解していなかった。

「さあ、シス。これはなんのカードかな。当たったらお菓子をあげよう」

フェルデン博士はにこやかに、裏返しにしたカードをテーブルに広げていった。

一面だけ鏡張りの白くて小さな部屋。3歳のシスは博士の向かい側に座り、これから始まる遊びに胸をときめかせていた。二人を囲むように立ち、その手の中のバインダーに何かを書き込んでいる助手たちのことは、少しも気にならない。

「えっとね、えっとね」

一生懸命考える。博士は笑顔を浮かべじっと待っていてくれる。白髪交じりのぼさぼさの髪に銀縁眼鏡。その奥の瞳はいつも柔和で、シスはやさしい博士のことが大好きだった。

カードの図柄は星、丸、四角、三角、波などだった。不思議なことにカードを見つめていると、その裏の絵が頭に浮かんでくる。

「これはね、さんかく。これはね、おほしさま……」

すべて当てると、立ち並ぶ助手たちが揺れ動いた。

博士は満面の笑みでシスを褒めてくれた。

「よくやった。いい子だ」

シスはカードを当ててお菓子をもらえることよりも、博士に褒めてもらえることの方が何十倍もうれしかった。

「じゃあ、今度はこれだ」

博士はテーブルに数個の積み木を並べた。シスは不思議そうにそれを見つめている。

「これを、手を使わずに動かしてごらん」

博士は笑顔をたたえ続けている。シスが戸惑い顔をしかめていると、博士が優しく言った。

「積み木に動けって言ってみるんだ。きっと動いてくれるよ」

シスはうなずき、言われたとおりにしてみた。

「動け……動け……動け!」

その瞬間、積み木がびゅんっと大きく動き、机から転がり落ちた。

「おおっ!」

助手たちがざわめいた。足元に積み木が転がった助手の一人は驚きのあまり大きく飛び跳ねていた。

「よくできたね」

フェルデン博士は、その大きな手でシスの頭を撫でた。

それは心地よく、シスの心を温かくする。だからシスは、それから続く過酷な能力開発を誰よりもがんばった。すべては博士に褒めてもらうため、喜んでもらうためだった。

ところがそれから数年たったあるときから博士は変わってしまった。やけどをしたと言って包帯をその手にぐるぐると巻いていた。何があったのかはわからない。博士は突然人が変わり、厳しく恐い人になってしまった。もうシスに向けて笑顔を浮かべることも無い。その表情は冷たく、シスの心を無情に突き離す。博士の変化とともに、シスの心も変わっていった。

アークと呼ばれる1000平米ほどの空間。それが子供たちの世界のすべてだった。全面核戦争後の汚染された世界から人々は逃れ、生き残った人間は地下深くで生活をしているという。しかし、アークに来る数人の大人以外の人間にシスは会ったことがない。ここにいる6人の子供たちは、このアークからすら出たことがなかった。

大人たちは6人の子供たちを教育、指導、検査をするとき以外は、アークから出て行く。そして子守をするのはアーク中に備え付けられた監視カメラだった。

皆がそろって14歳になった今も、それは子供たちを執拗にとらえて離さない。この狭く窮屈な空間は、子供たちの心を少しずつに蝕み始めていた。

 

 

アークでは、決められたカリキュラムとタイムスケジュールの中生活をしている。学習、運動、能力開発とそれらをひたすら繰り返す日々。しかし、月に一度の身体検査の日だけは違った。

午前中に検査を終え、午後は博士やその助手、アークの教員、スタッフたちによる定例のミーティングが行われる。

子供たちは、カリキュラムの組まれていない自由時間となり、このときばかりはカメラによる監視も手薄となる。シスたちにとって唯一心の休まるときだった。

それぞれ個別の部屋はあるが、たいてい皆ホールでおのおののことをして過ごしている。

このホールはアークの中央にあり、教室や運動室、食堂、図書室、検査室などはすべてここに隣接されている。天井の高い円形の広い部屋で、ソファやテーブル、人工の観葉植物がいくつか置いてあるが、無機質な感はどれだけここで時を過ごしてもぬぐえない。「窓の外」にはホログラムの景色が広がり、今日は雨模様だった。

シスは、ソファで隣に座り静かに読書をしているアンに目をやった。

アンは本が好きだった。時間さえあれば、ひたすら読み続けている。しかし、シスにはわかっていた。本の世界に逃げ込むしかないのだ。そうでもしなければ、この狭量な世界は内なる狂気を呼び起こしかねない。

図書室には核戦争の難を逃れた本が豊富にある。本の中の世界は美しく広大だ。しかし今の現実世界はまるで違う。荒れた大地が広がり、人はおろか植物さえも生きられない環境だという。汚染された世界は、その美しさを取り戻すまで恐ろしく長い時を要する。残された人々は、近代的設備を備えた穴倉のような地下で、静かに時がたつのを待つしかない。

……どうしたの?

険しい顔をしたシスに気づき、アンが顔を上げた。色白で優しい瞳を持つアン。成長するにつれて男女の違いが浮き彫りになる。

……いや、なんでもないよ。

不思議そうな顔をしてから微笑み、アンは読書に戻って行った。

声を失ったアンとは心の中で会話ができる。これは二人の間だけに発現した能力だった。博士にも知られていない。もし発覚したらこの穏やかな意思疎通は、非情な課題とされ、他の子に対しても更なる過酷な能力開発を強いることになるだろう。それを避けるために決して悟られてはならない。

シスの視線をさえぎるように、小柄なキャトルが立ちふさがった。

「今回はオレが一番だな」

顔をニヤニヤさせ、ご機嫌の様子だ。

「透視の精度も、サイコキネシスの成績もお前に負けていなかったからな」

競争心理を生み出し能力の向上を図るため、前回のミーティングから、成績の順位を発表するようになった。どうやらキャトルには効果があったようだ。

「良かったな」

笑顔を浮かべて言うと、キャトルは満足げに鼻で笑い去って行った。

アンが隣で小さく笑った。

……わざと成績を下げたでしょう?

シスは前回一位だった。しかしこんな小さな世界で一位を取ったところで滑稽だ。目的もわからない行為をがんばったところで所詮意味は無い。

シスにとってはそんな力の成績発表などばかばかしく感じていたことを、アンはお見通しだった。

シスは肩をすくめてアンと目を合わせ、笑みを浮かべた。

そのときホールの隅で大きな音がした。シスが顔を向けると、キャトルがソファとともに壁まで吹っ飛んでいた。その目の前で手をかざして顔を赤くしていたのは大柄なサンクだった。

「こんなものも防げないくせに、偉そうにいばるんじゃねえ」

どうやらキャトルがサンクに対しても同じように自慢したらしい。気の短いサンクはサイコキネシスの能力に訴えたようだ。サンクの力は大きいが、そのコントロールに難がある。ここまで大きな力を発するつもりはなかったようで、息巻いてはいるがサンク自身も内心驚いているのがシスにはよくわかった。

ふくよかな体格で性格も穏やかなトロワはおろおろとし、神経質なドゥは反対側の隅に逃げてソファの影に隠れてしまった。

「ちくしょう!不意討ちは卑怯だぞ!」

立ち上がり、切れた唇の血を左手の甲で拭いながら、キャトルがサンクに右手をかざした。その瞬間、サンクは腹部に大きな空気の塊を抱えたように屈み、ホログラムの窓まで飛ばされていった。

「ふ、二人ともやめろよう」

トロワがうろたえながら二人を交互に見てなだめようとしている。体格のいいサンクがぶつかった窓のホログラムは、ちりちり、と雨の風景を細切れに見せてから、ただの白い壁にかかる窓枠へと戻って行った。

「このやろう!いい気になりやがって」

サンクはよろけながら立ち上がると、ボールでも持つように手の平を広げた。そこには淡い白色の小さなもやが縦長に広がっている。それはやがて白い鋭利な物へと姿を変えた。空気中の水分を集め急激に冷やし、氷の塊を作り出す。その刃(やいば)は鋭く、刃物のように物を切り裂く。

「アイスソード……」

トロワが青い顔をしてつぶやき、一歩退いた。

「そっちがその気なら……」

キャトルも負けじと手の上にアイスソードを作り出した。

……やめて!!

悲鳴が頭に響く。シスはアンを見た。その美しい瞳から涙があふれ出していた。

キャトルとサンクは睨みあい、お互いに手を振り上げた。

アンとトロワは頭を抱えて目を伏せた。

二人の力が放たれた次の瞬間、キャトルとサンクの中間地点で二つの大きな力は、跡形もなく消滅していた。二人は何が起こったのかわからず、目を丸くした。

「いいかげんにしろ」

シスはかざしていた手をおろした。二人のアイスソードを高温の空気砲により弾き飛ばしたのだ。

「お前……今、何をした?」

そんな技は習っていない。キャトルは驚愕のまなざしでシスを見た。

「おっと、子供のけんかはそこまでだ」

ホールの自動扉が開き、大人の姿が現れた。白衣は来ていない。最近姿を見るようになった、セキュリティとシステムのメンテナンスを担当している男だった。

「おやおや。お前ら、派手にやったな」

ホールを見回し、溜息をつく。

「ちゃんと片付けろよな。博士に怒られるぞ」

間の抜けた男の声に緊迫した空気は消え、皆で慌てて家具を元の位置に戻しにかかった。ミーティングには参加しないこの男だけは監視カメラの映像を見ている。

男は動作不良となった窓のホログラム装置をいじりながら、皆に向けて片手をしっしと振った。

「もうここはいいから、部屋に戻って頭を冷やせ。このことは黙っといてやる」

皆、しぶしぶとホールを出て行った。シスは、男を振り返りながら、まだ青い顔をしているアンを部屋まで送っていった。

個々に与えられている部屋だが、そこも決して気の休まる場所ではなかった。机と椅子、ベッドがあり、備え付けのチェストがある。中にある服は上下白の同じ服ばかりだ。そして、ここにも監視カメラはある。

シスはアンをベッドに座らせて、その青白い顔を覗き込んだ。

……大丈夫か?

……うん…

アンの体は小刻みに震えている。昔のことを思い出しているのだろうとシスは思った。

……少し眠るといい。

……うん……そうする。シス、ありがとう。

アンは無理してか弱い笑顔を作り、ベッドに入ると瞳を閉じた。

シスはアンが眠るまで、その手を握り側にいた。

アンが眠りに落ちてから、シスはホールに戻った。若い男はまだホログラムの装置を修理している。シスは黙って側のソファに座った。

男は手を動かしながら、背を向けたまま口を開いた。

「あいつら、相当ストレス溜まってんだな」

やれやれ、というふうに、わざとらしく息を吐く。

「……こんなところにいたら、それも仕方ないか」

独り言のようにつぶやくのを聞き、シスは言った。

「オレたちはこんなところでしか生きられない」

地上が浄化されるまではここにいるしかなかった。しかし命のあるうちにその日がくる保証はない。一生こんなところにいることになるのだろう。今あるのは生きることさえ放棄しかねない絶望だった。

シスの言葉に、男は頭を傾けただけだった。

「……あんたたちはどこからくるんだ?」

無駄とは思いつつ、シスは聞いた。博士たち大人はアーク以外のどこで生活をしているのか。誰に聞いても「別の施設」としか答えてもらえない問いだった。

「……オレか?オレはセキュリティールームから来たが。知らなかったのか」

とぼけた答えにシスはむっとした。

「違う。オレが聞きたいのはどこに住んでいるかだ。なぜ、オレたちはそこに行けない?なぜアークから出られないんだ?」

男は背を向けたままゆっくりと立ち上がると、シスの言葉を聞いていなかったかのように両手を上げて伸びをした。それから振り返り、シスを見据えて近づいた。

「お前も、相当溜まってんな」

へらへらした笑いが消え、鋭いまなざしとなった。

「知りたいのか?」

別人のような顔だった。

「ああ」

男は顔を近づけて言った。

「オレは外で普通に暮らしている」

……ソトデフツウニクラス……

一瞬シスには理解できない答えだった。

「……外ってどこだ?……普通って?」

「外は外だ。この建物の外。お日様の下」

当然だろうといわんばかりに、男はホログラムの修理に戻った。

「お日様の下って……。ばかなことを言うな。外は核戦争の影響で人の住めない状態になっているはずだ……」

呆然とするシスに、男は背中越しに軽く言った。

「核戦争は救世主(メシア)が止めた。お前、何にも知らないんだな。オレの生まれるずうっと昔の話だぞ。そのときから世界で核兵器は廃絶された。だからと言って平和になったわけじゃないがな」

シスは言葉を失った。

この男は何を言っているのだろう。そんなことがあるはずはない。

「い、いいかげんなことを……。じゃあ、なぜオレたちはここにいる?どうしてアークを出ることができない?なんであんたたちみたいに『外で普通に』暮らせないんだ?」

声が震えた。信じていた世界を否定される。それは恐ろしいことだった。

男は修理を終えたのか、工具箱を整理し、立ち上がってシスを振り返った。その表情はなぜか哀愁を帯びていた。

「それは、お前たちが『神の子』だから、なんだろ」

「なんだよ、それ……。訳がわからない。オレたちは唯一残された子供なんだろ?世界の未来のために必要だから、核で汚染された世界から隔離されてここにいるんだろ?」

「……奴らからすれば、この国の未来のためには必要なんだろう。だが、世界は核に汚染されてなどいない」

「奴らって誰だ?あんたの言っていることはさっぱりわからない。適当なことばかり言うな!」

シスは取り乱していた。疑問を抱えてはいても、取り巻く世界を疑ったことはなかった。

「……なら、自分の目で確かめるんだな」

男は自分の首からカードのついたストラップを外すとシスの前に掲げた。それは大人たちがアークから出るときにドアにかざすものだ。これがあれば、この窮屈な場所から外に出ることができる。

「……いい、のか?」

男はうなずいた。掲げられたカードを見ると、そこには名前であろう「ライル・アンダーソン」という文字が記されてあった。

「DNAカードだ。お前にもあとで作ってやろう」

「どうしてこんなことをする?オレを信用するのか?このまま逃げるかもしれないだろう?」

男は首を横に振った。

「お前はアンを置いては行かない。それだけはわかる」

男の声は真面目なものだった。もうへらへらと笑ってなどいない。

シスは呆然としながらも、そのカードを受け取った。

 

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